アン ミカという個性「“自分”を知らないと、生き残れない」
私たちを惹きつける特別な魅力を持つひとは、誰にも負けない“個性”という輝きを放っています。各界で活躍し続けている彼女や彼に、“自分らしく”を大切にする生き方についてインタビュー。そのオリジナルなスタイルの秘密を探ります。ここから3回にわたり、モデル、タレント、さらにデザイナーとしても活躍中のアン ミカさんをフィーチャーします。
シャツワンピース、パンツ/ともににDRAWELL(ドロウェル/ドゥーブルー) ジュエリー/すべてオート ジュエラー・アキオ モリ タンクトップ/スタイリスト私物
“笑い脳”になるために、笑顔でいること
彼女が発するポジティブなオーラは特別。説得力のある言葉と、何よりもその華やかな笑顔が吸引力となり、テレビや講演会にひっぱりだこのアンミカさん。自分自身の魅力を知り、それを最大限に表現できるようになるまで、どんな試行錯誤があったのでしょうか。その原点は幼少期にあるといいます。
― アンミカさんが、“今のアン ミカ”さんにたどり着くまでを伺えればと思います。幼少期はどんなお子さんだったのでしょうか?
「幼いころは、コンプレックスだらけでした。両親も、他のきょうだいもみんなスラッとした体型だったのに、私だけコロコロしていたんです。『なんでミカちゃんだけそうなの?』という他人の言葉にいちいち傷ついていましたね。
そんなときに階段から落ちて口元を怪我してしまい、笑うと唇がめくれるようになって。友達から笑顔が怖いと言われて以来、人前で笑うのが怖くなり、どんどん殻に閉じこもってしまったんです」
― 何をきっかけに、変わることができたのでしょう?
「私を変えてくれたのは、母でしたね。ーーうちは物質的には貧しくて、たくさんのものを持つ家ではありませんでした。5人兄弟で、家族7人が身を寄せ合って小さな家で暮らしていたんです。そんななかで母は化粧品会社に就職しました。そして怪我をして自信を失っている私に、こう言ったんです。
『美人のレッスンをしましょう! 本当の美人とは目鼻立ちが美しいかどうかなんて関係ない。一緒にいて心地良いことのことを言います。お母さんは、人をキレイにする化粧品会社で働いて、4つの魔法を見つけたの。それを教えてあげる』
まず1つめは、いい姿勢でいること。胸の真ん中に目があると思って人と向き合えば、自然と背筋が伸びていい姿勢になる。
2つめは、いつも笑顔でいること。ネガティブな気持ちを遠ざけて、“笑い脳”になるためにも、いつも笑顔でいなさいと。笑顔で使う顔の筋肉は一番脳に近い筋肉。それを使っていれば、自然と脳が楽しい、おもしろいと感じ取ってくれる。そうやって生まれる心からの笑顔は、周りのひとも幸せにするよって。
3つめは、相手の目を見て話すこと。相手の目から胸の間に視線をもっていって、心を運ぶように目を見ること。
そして4つめが「5W1H」を大切に、いつ、誰が、どうして、どんなふうに感じたのか、わかりやすく話し、伝わっているかどうかを確認しながら話すこと。さらに話すだけはなくて、相手の話をちゃんと聞くこと。
私たち家族は、韓国から日本にやってきました。子供たちはすぐに日本語を習得しましたが、大人は子供ほど語学の上達が早くないですよね。だから親を思いやって、相槌をうって、ゆっくりと話を聞くことの大切さも学びました」
私に合った目標と、ハードルを与えてくれた両親
― その「4つの魔法」を実践されたのですね。
「はい、この『4つの魔法』を身につけていくなかで、コンプレックスは消えていきました。自分を知ることの大切さに気が付き始めたのだと思います。
実は私が8歳のときに、母の病気(がん)が発覚しました。私たちきょうだいは、そこから急ピッチでそれぞれに合った教えを授かりました。
『ミカちゃんは、美人になるためのレッスンをずっと続けて、笑顔の練習をずっとしている。よく見ると手足も長いし、モデルさんになれるかもね』と、アイロンがけやお裁縫など、洋服にまつわる家事を徹底的に教えてもらいました。
ちなみに兄は正義感が強く弁が立ったので、法律関係の仕事ができたらいいねと言われ、今は行政書士に。他のきょうだいについても一人ひとりの得意不得意を理解していて、それぞれに道を示してくれたんです。自分がいなくなったあとも、生きていけるようにと」
― モデルの仕事は、お母様のお導きでしたか。
「母に、モデルになったよと報告したくて、15歳のときに20社以上のモデル事務所に応募しました。でも、端にも棒にもひっかからず。それでも諦めずに、同じ事務所に5回も書類を送ったり。社交辞令で『梅田に来たら、遊びに来てもいいよ』と言ってくれた事務所に毎週おしかけて、そこに研修生としてやっと入れてもらえたんです。母が亡くなる前に、伝えることができました。
けれど、そこからが大変でした。モデルとしては泣かず飛ばす。父は私を大学に行かせたかったのですが、私はモデルとしての活動にもっと力を注ぎたかった。
母はそれぞれの特徴を知り導いてくれるひとでしたが、父はそれぞれに合ったハードルを与えるひとでした。ーー『進学せずモデルになるのなら、家を出なさい。一流モデルになるまで帰ってこないこと。そして必ず資格をとりなさい』と言われました。
私には高いハードルを与えた方がいい、そう知っていたのでしょう。また資格があれば、モデルオーディションの際も他の人とは違った角度で話ができますよね。そこも見据えて言ってくれていたのだと思います。
社会の動きを見ながら、自分に合った資格をとることができれば、もしモデル業がダメでも、そこからまた別の仕事ができる。きょうだい5人はこの教えから全員国家資格を持っています」
好きと“似合う”は違う
― モデルという職業は、常に自分を見つめ、磨いていく必要がありますよね。
「19歳のとき、パリコレに挑戦するためパリに行きました。このときに言われたことが、『自分を知る』ための大きな気付きになりました。面接をしてくださったデザイナーにコテンパンに言われたんです。『あなたは白いTシャツを着ているけれど、白は200色ある。そのなかでも一番肌がくすんで見える白を選んでいる』」
―「白は200色ある」はテレビ番組でアンミカさんが引用された言葉ですね!
「そうです。過去に、私に向けられた言葉。さらに『Tシャツの形も、あなたの体に合っていない。服も自分もキレイに見せられない人が、モデルなんてできない。一度帰って、自分に何が似合うのか見つけてきなさい』と」
― 具体的にどうやって自分が似合うものを見つけたのでしょうか?
「カジュアルからハイファッションまで、とにかくあらゆるショップに入って、素敵だなと思うスタッフに声をかけて“私に似合う服”を選んでもらいました。そうすると、“自分の好きな服”とは違うものが出てきます。そこに“似合う”のヒントがあるんです。もともとセンスがいいひとは、“好き”と“似合う”が近い。そうでないひとは、まずその2つが違うことを理解しないといけません」
― 当時はどのような服を好んでいたのですか?
「今の私とはまったく違って、フワフワぶりぶりしたものが好きでした。ふわっとした前髪、ミニスカート、謎に大きなリボンとかを首に巻いていました(笑)。けれど、そういう“好き”は寝巻きで着てればいい。モデルとして人前に立つとき、似合うものを着ていないと光ることができませんから。
そうやって似合うものを探していくなかで、ファッション界の大先輩のアドバイスもいただき、当時流行っていたアバンギャルドなスタイルをまとうようになりました。ヒップハングのグリーンのパンツにTシャツ、メイクもとんがった雰囲気にして、髪は黒髪のワンレングス。自分の好きなスタイルではありませんでしたが、着こなしを変えた途端に、周囲の目が変わったのがわかりました。
それまでは、業界の華やかなパーティーに行っても門前払いだったのに、それ以降はスッと席を用意されるようになった。自分を知って、自分に似合うものを選んでいかないと、生き残れないんだ。『自分を知る』ことの大切さを痛いほど理解した瞬間でしたね。
その後パリコレにも参加することができましたが、実は何度もチャレンジして、すごく遠回りしました。15歳でモデル事務所に入るときもそうでしたが、私の人生には真っすぐな道は一つもありません。でも遠回りすることで、自分を探し、自分を知ることができたんですよね」
幼少期からすでに、「自分を知る」ために奮闘してきたからこそ、今の強くしなやかなアン ミカさんが存在するのです。そして「自分を知る」ことができたら、今度はその自分をどう次のステージに乗せていくのかが大切。vol.2では、アン ミカさん流「自分を愛する」ためのメソッドをたっぷりと伺います。
Profile
アン ミカ
1993年にパリコレ初参加後、モデル業以外でも、テレビ、ラジオ、ドラマや映画、時には歌手として、さまざまな表現分野で活躍。野菜ソムリエ、漢方養生指導士中級、ベジフルビューティーアドバイザー、NARDアロマアドバイザー、化粧品検定一級、ジュエリーコーディネーター3級など20の資格を活かし、服やコスメ、ジュエリーなど商品プロデュースを展開。ポジティブな考え方、幸せな生き方を提唱する講演会も人気で、幸せに関する本も多数出版。今年も自身プロデュース『アンミカのポジティブ手帳2023』を9/29に発売予定。さらに、9月には自身初舞台出演ミュージカル「シンデレラストーリー」も控えている。
http://tencarat-plume.jp/
Instagram @ahnmikaofficial
SHOP LIST
オート ジュエラー・アキオ モリ 03-3573-2516
ドゥーブルー (ドロウェル) 03-3793-2395
STYLING = 清水恵子
HAIR & MAKE-UP = K.Furumoto (&’s management)
TEXT = 安井桃子