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アフリカで学んだ「愛にあふれた時代から今の日本が学べること」 ~SHOGENインタビュー

堀江知子(ほりえ ともこ)
永野 舞麻(ながの まあさ)

SHOGEN

 

ハミングの監修者でもあるSHOGENは、日本で注目をされているアフリカンアートのペンキ画家。

 

彼の作品には「生きるのって、楽しい!」というメッセージがあふれています。

 

もともとは大手化粧品会社で働いていたSHOGEN。

 

タンザニアの伝統絵画であるティンガティンガとの運命的な出会いが彼の人生を変えました。

 

その後、彼は一人でタンザニアに渡り、村人たちと共に生活しながら絵の修行に励みました。

 

SHOGENが村で学んだことは絵画だけにとどまりませんでした。

 

帰国後の彼のアーティストとしての活動の源となっているのは、村長から聞いた「今の日本人が忘れてしまった本来の日本人の生き方」でした。

 

タンザニアの村に伝えられる、私たち日本人の本来の使命や、忙しい日々を送る私たちでも取り入れられる幸せに生きるヒントなどをSHOGENに聞きました。

 

日本人なら誰でも心揺さぶられる遠いアフリカからのメッセージを、ぜひお楽しみください。

 

🔻SHOGENのInterview動画はこちら🔻

 

 

みんなで生きていく時代

ブンジュ村の人

 

ーータンザニアで学んだことの中で、SHOGENにとって1番大切に感じていることは何ですか?

 

『これからの時代は、血がつながっていない家族がみんなで生きていく必要がある』というメッセージです。

 

日本では、核家族だったり、隣の家の人の顔もわからない、母親が倒れたら家庭が崩壊する、という状況の家庭も多いと思うんです。

 

こういう「社会の中でどうやって生きていったらいいの?」という疑問へのヒントは、アフリカにたくさんありました。

 

「みんなで生きていく」というのはアフリカの人たちは当たり前に日常からやっていることなんです。

 

でもこの考え方は日本の人でも「懐かしいな」という感覚を持つ人は多いと思います。

 

「昔、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんが言っていたな〜」なんて感じる人も多いでしょう。

 

ーーSHOGENが住んでいた村の村長のおじいさんが夢の中で日本人とつながっていたことから、愛にあふれた時代の日本について教えてもらったとのことですね。

 

SHOGENが村で聞いた日本とは?

 

僕が村長から言われたことは「日本人が日本人としての魂を思い出す必要がある」ということです。

 

日本の歴史の中で1万5000年の間、日本には生きとし生ける全ての者を愛し、すべてのものから愛され続けてきた時代があります。

 

その時代に亡くなった人には、差し傷とか切り傷がなかったんだよと言うんです。

 

おそらく縄文時代のことを言っているのだと思います。

 

村長から「今の日本人の血に一番深く刻み込まれている記憶は何だと思う?」と聞かれたんです。

 

「それは何?」と聞いたら、「それは『愛され続けた記憶』だ」というんですよ。

 

日本のご先祖様は、1万5000年もの間、争いもなく愛と平和であふれていた時代を生きてるんですよね。

 

だからその時の記憶をもう一度思い出してほしいと。

 

つまり、自分が普段からやっている所作や行動を愛し続けることで、愛され続けた記憶がよみがえってくるということなのです。

 

今までは、物質的な豊かさを求めてきたから、自然破壊とか環境汚染から来る肉体と精神の分離から、うつになったり自殺をしてしまう人が増えてきてしまったというんです。

 

これからの時代は、もうそれではいけないとみんなが分かっているので、これからは心の時代に入らないといけないと村長は言うんです。

 

心の時代に入るにあたり「愛され続けた日本人が、もう一度自分を愛して、世界中のみんなに愛されるということはどういうことなのか、

 

愛するということはどういうことなのかを伝えてほしいということを村長は言っていました。

 

ーー経済的には日本よりも貧しいと言われるアフリカですが、アフリカを訪れる多くの日本人が「アフリカの人はとても幸せそう」と言います。

 

SHOGENがアフリカで暮らした経験から、この理由はなぜだと思いますか?

僕自身、タンザニアに住んでいると、幸せを感じられるようになったんです。

 

それは村での生活スタイルに理由があったのだと感じます。

 

つまり本来、人間がやっていたであろう「 日の出とともに起きて、日没とともに寝る」ということを実際にやっていたらすこぶる健康になったということです。

 

こういった暮らしをしていたら、幸せを感じる余裕が生まれてきました。

 

日本では、深夜でも電気はついているし、どんなに遅い時間でも仕事ができてしまいますよね。

 

そんな生活に慣れていた僕が「あきらめる時間が来ることの幸せ」を村長から教えてもらったんです

この「あきらめる時間」が来ると割り切れるんです。みんなで「はい、今からもう休みね」という時間に入れることが、すごく幸せだったなと思います。

 

🔻SHOGENのInterview動画はこちら🔻

 

 

日が出ているうちに家族の顔が見たい

ブンジュ村でのSHOGEN

ーー日本の忙しい人たちが生活レベルをタンザニアの村のように大きく変えることはできないかもしれません。

 

日本にいる私たちでも幸せになるために生活に取り入れられることはありますか?

 

食事の時間を増やすことですね。

 

日本の小学校に行くと、給食の時間は20分ぐらいです。中学校とかになると10分というところも聞きます。

 

でも食事は、生きていくために大切な時間です。じっくりと食材を味わえる時間が短すぎるので、これが今の日本の一番の問題だと思います。

 

食事をゆっくりじっくり味わえなくなったら、生活そのものがおろそかになります

 

現代の「効率よく、無駄を省いて、時短で」という考え方にもつながってくるかもしれないですね。

 

食事を味わえていないということは、生活も味わっていないということ。

 

給食時間が短いということは、そういう「味わえない」日本人を生み出しているということなんじゃないかと思います。

 

ーー忙しい日本の私たちは「食事をゆっくりとる」ということも、しっかり意識しないと難しいかもしれませんね。

 

僕が住んでいたタンザニアの村では、仕事はみんな、お昼過ぎの3時半に終えるんです。

 

僕の絵の先生も、キリンの足の模様をあと5つだけ描いたら終わるのに、書き終わる前に「3時半になるから帰る」と言うんですよね。

 

「あとちょっとで終わるのに、なんで終わらせないんですか?」と聞いたら、「早く家に戻らないと、家族の顔が見られないから」と言うんです。

 

村には電気がないので、夜になると真っ暗になり、家族の顔は朝まで見ることができないんですね。

 

「自然の光がまだある、明るいうちに家族の顔が見たいから早く帰るんだよ」と言われた時に、僕は『自分の中で本当に大切なことは何だろう』と考えるようになったんです。

 

だから、本当に大切なものが見えてきたら、生活の仕方も変わると思うんです。

 

仕事のやり方をすぐに変えることは難しいかもしれないけれど、プライベートとか休日の過ごし方、そういうところから、まずは日々をじっくり味わうことを意識してみたらどうでしょう。

 

🔻SHOGENのInterview動画はこちら🔻

 

 

キラキラ輝く楽しそうな大人を見せよう 

ーーそんなアフリカでの生活から一変して、SHOGENが日本の生活に戻るのは大変でしたか?

 

僕があまりにもわからない人間だったんで、村長にもよく言われていたことがあります。

 

「お前が明日もし死ぬとしたら、最初に考えるのは、自分の人生は自分らしかっただろうかということだろう」

 

「だから、もういい加減に自分のために生きればいいんだよ」って。

 

自分の心が幸せで満たされて初めて、喜びや幸せのおすそわけが、周りにいる人に届くんだと言われたんです。

 

タンザニアでそういうことを考えながら暮らした後、久しぶりに日本の生活に戻ってまず感じたことがあります。

 

それは、自己犠牲の上に幸せが成り立っていると考える人が今の日本には多いということです。

 

自分が犠牲になれば周りの人が喜んでくれると思っていたり、そう思っている自覚がなくても、そういう行動をとっている人が多いと感じます。

 

ーー私も母親になって、子どもに「ママは幸せを感じながら生きているよ」という姿を見せることの大切さに気づきました。

 

自分を大事にして楽しんでいる大人の姿をそのまま子どもに見せることに抵抗のある人もいるかもしれませんね。

 

タンザニアで印象的だったのは、村で壁に絵を描こうという時に、我が子を押しのけて大人たちが壁の前を占領した時です。

 

その大人の姿を見て、子どもたちは「早く大人になりたい!」と言っていたんです。

 

これがまさに今の日本に足りないところだと思います。

 

 

キラキラ輝く大人の背中を見ている子どもたちが少なすぎるのです。

 

子どものための英会話教室やレッスンだと言って「子どものため」が多すぎると感じます。

 

アフリカに住んでると、すごく楽しそうな大人をたくさん見るんです。

 

日本には思いっきり遊んでいる大人が少なすぎるんです。

 

大人がもっとおもいきり自分をオープンにして遊ぶという姿を子どもたちに見せることが、今の日本に大切なんじゃないかなと思います。

 

ーーブンジュ村の人が今の日本を訪れたら、なんと言うでしょう?

 

「しんどい」と言うでしょう。

 

ずっとみんなが仕事ばかりをしているところとか、 慌ただしく生活をしているところとかを見たら「日本の人たち…今日もきついだろうな」って言うでしょうね。

 

ーーもしもまたタンザニアの村を訪れるとしたら、日本からどんなプレゼントを持っていきますか?

 

品種のいいスイカの種でしょうか。

 

 

スイカはアフリカが原産だと聞きましたが、タンザニアのスイカは、僕から見ると品質が最高とは言えないものでした。

 

スイカを切ると、食べられない白い皮の部分が分厚かったりするんです。だから、日本からプレゼントするなら、スイカの種かな。

 

でも、それはおせっかいかもしれないですね。

 

基本的にブンジュ村の人たちは、心が満たされているので「何もいらん」っていつも言うんですよね。

 

村の畑では、ナス、オクラやトマトなど夏野菜がとれるし、ハリネズミや鳥を捕まえて食べるから、全てがそこにあるんです。

 

だから「欲しいものは?」って聞かれても、村の人たちは「うーん。何もいらん」と言うでしょうね。

 

時間を気にせずご飯を食べる時間の幸せ

ーーそんなSHOGENが、今一番幸せを感じる瞬間は?

 

血のつながっていないみんなとご飯を食べている時です。

 

時間を気にせず、ご飯を食べながら話をしている時に、 すごく幸せだなと感じます。

 

あとは、自分も自然の一部としてこの大地から生まれてきたんだと思い出しながらアーシングをしている時にすごく幸せを感じますね。

 

※アーシング=素肌や裸足になって、身体と大地が直接つながる事

 

ーーアーシングは、どうやってとりいれていますか?

 

裸足になって土を踏んだり、大地にゴロンと寝転がったりみたいなことをしています。

 

タンザニアの村の子どもたちにもよくアーシングに誘われていました。

 

例えば、雨が降り出したら空を見上げて口を開けてね、雨を食べたりするんです。

 

そうすると、大人たちも外に出てきて、みんなで口を開けて雨を食べるんですよ。

 

こういう、ほっこりする時間がアフリカでは多かったなと思い出します。

 

ーーこれから力をいれていきたい活動は何ですか?

 

これからやりたい活動としては、学校のアート活動があります。

 

ごみ収集車や町営バス、学校の壁などにみんなで絵を描いて、新しい自分を見つけていくというプロジェクトです。

 

あとは障害者の子たちとのアート活動ですね。

 

すでに活動している方とのコラボも積極的にしていきたいです。

 

先日も静岡の「心のままアート」というアートが好きな子どもや障害を持ってる子どもたちと一緒に絵を描きました。

 

みんなで集合写真撮ろうという時に、ある子がスキップをしながらカメラの前を横切ったんです。

 

そんなところをみんなで見ていた時に「あー、別にそうであっても良いよね。心のままで良いよね」と思ったんです。

 

集合写真を撮ると言われて、 みんなで横に並ばなくても良いんだと。

 

この横切る子の姿を見た時に、みんながそれぞれに、その瞬間に楽しいことしていたら良いんじゃないと、思えたんですよね。

 

みんなが寄り添って集える場、そういう場所作りができたらと思っています。

 

ーーSHOGENには私たちのウェブマガジン、ハミングにも執筆者、監修者として関わってもらっています。

 

ハミングの読者に伝えたいメッセージをぜひ教えてください。

 

ハミングは、たくさんのお母さん方も見てくださっているマガジンだと思います。

 

そういったお母さんたちが心から寄り添ってなんでも話せる、 ハミングはそういう場所になれると思います。

 

まさに、血がつながっていないみんなが心からつながり合い、出会える場所ですね。

 

ライター:プロフィール

著者:堀江知子(ほりえともこ)|タンザニア在住ライター

民放キー局にて、15年以上にわたりアメリカ文化や社会問題についての取材を行ってきた。

2022年からはタンザニアに移住しフリーランスとして活動している。

noteやTwitterのSNSや日本メディアを通じて、アフリカの情報や見解を独自の視点から発信中。

出版書籍:『40代からの人生が楽しくなる タンザニアのすごい思考法 Kindle版』

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Humming編集長、一般社団法人ハミングバード代表理事。カリフォルニア在住。

高校時代、スイスに住んでいたときに自然の偉大さに触れ、地球環境保全について学び始める。アメリカの美術大学でテキスタイル科を専攻。

今でも古い着物の生地などを使って、子育ての合間に作品を制作し続けている。


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