ヴィパッサナー瞑想リトリート体験談。リトリート中に感じた恐怖体験とその後の変化とは【Editor’s Letter vol.06】
Humming編集長 永野舞麻がカリフォルニアから配信する「Editor’s Letter 」。日々の暮らしで感じた気付きや、人生において大切にしていることを綴っています。
ある日の深夜、全身の皮膚が毛羽立つような恐怖に襲われました。
真夜中、突然のサイレンに驚いて起き上がると、ビービービーと大きな音が鳴り響いているのです。
「どこかで核爆発が起きたに違いない……」
これまで感じたことのない不安や恐怖心が押し寄せてきました。
けれど、周りを見渡すと部屋の外は静まりかえっている。なんと、サイレンは自分の耳の中だけで鳴り響いていたのです。
忘れもしないこの体験は、ヴィパッサナーリトリート8日目の出来事。
これは今まで心の奥底に溜めた気持ちが浄化され、穏やかな心に近づくための通過点だったのです。
Contents
観察することで変革を起こすヴィパッサナーとは?
ヴィパッサナーとは、2500 年以上前にゴーダマ・ブッダによって再発見されたメディテーション法。
感覚や呼吸に集中し、その瞬間のありのままの自分を観察することで、不安、怒り、嫉妬、執着、悲しみなどのあらゆる心の濁りを取り除き、浄化を図ります。
穏やかで充実した人生を築くための手段として、ヴィパッサナーは世界中で受け入れられています。
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なぜリトリートに参加しようと思ったのか
私がメディテーションを始めたのは、今から3年ほど前、世界的なパンデミックが起こりはじめた頃。当時は1回20分のマントラ瞑想を朝と午後の1日2回行っていました。
自宅でメディテーションをしていると、家族が話しかけてきたり、子どもが膝に座ってきたり、兄弟喧嘩がはじまったり、そういう状況の中でもメディテーションを続けるのが、ある意味与えられた試練だとはわかっていても、100%自分の内と向き合うことはなかなか難しい。自分だけの時間をしっかりと確保して、本格的にメディテーションを体験してみたいという想いが日に日に募っていきました。
そこで興味を持ったのが、数あるメディテーションの中でも特に厳しいと噂のヴィパッサナー。
ヴィパッサナーの合宿に参加することで何が得られるのかあえて深くは調べないまま、自宅から3時間半ほど車を走らせ、北カリフォルニアのヴィパッサナーセンターへ向かいました。
※ヴィパッサナー瞑想の合宿は世界各国で開催されており、日本では京都と千葉に合宿センターがあります。
他者との会話やアイコンタクトさえも禁止される、自分と向き合う10日間
合宿期間は10日間。いただく食事は朝昼2回の菜食と夕方にフルーツやお茶をほんの少し。毎朝4時に起床し、休憩を挟みながら1日10時間以上メディテーションを行います。
合宿期間は外の世界との接触は完全に遮断され、もちろんスマートフォンやテレビなどデジタルの使用は禁止。さらには人と会話することや誰かと目を合わせること、メモを書くこと、本を読むことさえも許されません。
最初の3日間は、鼻の周りの感覚を研ぎ澄ませて呼吸に意識を向けるアーナパーナというメティテーションをひたすら行い、自分の内と向き合う訓練をします。
4日目に、ついに、全身の感覚に意識を張り巡らせるヴィパッサナーに移ります。まずは鼻まわりからスタートし、頭から顔の各パーツ、肩、腕、手、胸、背中、腹、脚と体全体を1つ1つスキャンするように意識を集中させ、空気の重みや服に触れている感触、脈を打つタイミングを感じていきます。
さらにメディテーション中に絶対に動いてはいけない時間が1回1時間、1日に3回あります。ストロングメディテーションと呼ばれているその時間中は、どんなに体が痛くなっても、鼻がかゆくなっても動いてはいけません。慣れるまでは辛い時間ですが、これを行うことで痛みやかゆみなどの不快な感覚も現れては消える、「世の中に起こる全てのことは永遠には続かない」という感覚を体感し、どんな時でも心の平静さを保つ訓練ができるのです。
メディテーション中に突如現れた幼少期のトラウマ
合宿中、自分の全身の繊細な感覚と真剣に向き合うことで、過去に蓄積された身体や心の中のネガティブな要素が変容し、何かしらの形で現れることがあります。
4日目のメディテーション中のこと。幼少期のトラウマが突如私の心に現れ不意に涙が溢れたのです。
この日から始まったヴィパッサナー瞑想。決められた一定の時間は絶対に動いてはいけないにも関わらず、隣の方は体を掻いたり、寝息を立てていたり。
「私を含め、周りのみんなはこんなに頑張ってメディテーションしているのに、どうしてこの人は…」、ネガティブな感情が沸き起こりました。
不思議なことに、そのイラつきが私の幼少期の記憶と結びつき、当時から内に秘めていた想い、悲しみ、願望、様々な気持ちが現れたのです。
私には3歳年の離れた妹がいます。幼い頃、私は両親に褒めてもらいたくて懸命に家の手伝いをしたり、駄々をこねずに言われたことをきちんとこなしたり、わがままを言わずに欲しいものを我慢をしたり、愛されたい一心でいました。一方で、妹はニコニコ、そこにいるだけで親から愛情を注がれる。
「私だって、ありのままの私を愛して欲しかった……」
そんな素直な心の内がメディテーション中に自然と湧き起こり、涙が止まらなくなりました。
これまでアメリカに移住してから何年もセラピーに通い、たくさんの幼少期の親子関係、姉妹関係のトラウマを掘り返しては癒してきていたので、未だに、こんなにも鮮明な気持ちが現れたことに驚きを隠せませんでした。
合宿中は辛い記憶が蘇ったり、得体の知れない恐怖に襲われたりすることもありました。しかし、最終日には「もう少しこのメディテーションリトリートを続けていたい」そんな気持ちになっていたのです。
リトリート後に満ちた愛情と優しさ
10日間のリトリートを終えて家に帰ると、こんなに誰かを愛おしいと思ったのは初めてではないかというほどの「ピュアな愛」が自分から溢れ出ているのを感じました。
家族との会話。一緒に味わう食事。全てが愛おしい。まるで自分の周りの空気全体が愛のベールとなり家族を包み込んでいるような感覚です。
以前だったらイライラしてしまったような子どもたちや夫とのやりとりの瞬間も、イラつきどころか逆に愛を持った接し方ができたり、ただ抱きしめているだけなのに涙が溢れてくるような愛情を感じたり。
さらにリトリートを終えて1週間ほどは、自然と自分の呼吸に意識が向けられ、目を開けたままメディテーションしている状態が続いたのです。イメージとしては、大嵐で海は大荒れなのに、その中を静かに進む船のように落ち着いた気持ちで過ごすことができました。
この不思議な感覚は徐々に薄れていきましたが、あの感覚は今でも忘れることはありません。
ヴィパッサナー瞑想リトリートの10日間は、まるで人生の縮図
人生において全ては永遠には続かない。痛みも苦しみも、もちろん幸せも。だからこそ、今この瞬間を存分に感じよう。そのような気づきを私にもたらしてくれたヴィパッサナー。
普段、私たちは脳からの情報や声に振り回され、落ち込んだり、怒ったり、幸せを感じたり、良くも悪くも感情に左右されがちです。
メディテーションを通じて、呼吸や感覚に意識を集中し、脳から送られる過多な情報を一旦遮断する。それによって物事がより鮮明に見え、エネルギーを本当に大切なものだけに注ぎ込むことができるようになることを体感できました。
幸せは案外身近にあって、今を感じることから生まれてくるのかもしれません。物事の見方、捉え方が変われば人生が変わる。それを教えてくれた貴重な10日間でした。
新しい感覚や目線で自分の人生を味わいたい方には、ヴィパッサナーは大きなヒントや変わるきっかけを与えてくれるでしょう。