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ポリコレとは?その歴史や問題点、向き合い方を解説

 

社会にはびこる様々な差別をなくすべく、あらゆる場面で平等が呼びかけられている現代。

 

その中でもひときわ耳にしやすいのが「ポリコレ」ではないでしょうか。聞いたことはあっても本来の意味を知らずに使っている方も少なくありません。

 

今回はそんなポリコレが持つ本来の意味を始め、海外と日本におけるこれまでの歴史や、現在指摘されている問題点についてご紹介します。

 

私たちがポリコレとどう向き合うべきなのか、今後の見通しについても確認していきましょう。

 

ポリコレとは?

 

ポリコレとは、「ポリティカルコレクトネス(political correctness)」を略して呼びやすくした単語です。

 

直訳すると「政治的な正しさ」となりますが、現在は政治以外の場面でも使われることが多いでしょう。

 

ポリコレが訴えるのは、私たち人間があらゆる違いに悩まされず、皆平等に生きられるような社会です。

 

人種・性別・年齢・国籍・学歴・障害の有無など、私たちは様々なシーンでマイノリティを除外してしまいがちです。

 

マイノリティに当てはまる人々を直接傷つけようとしていなくても、無意識のうちに行う差別が人々を傷つけているかもしれません。

 

ポリコレはこういった差別が自然と行われている社会を正し、誰もが周りを気にすることなく生きられるのが正しい社会の在り方だとしているのです。

 

ポリコレの考え方は古くから人々の間に根付いていましたが、社会全体を巻き込む運動となったのは、一人ひとりの中に差別に対する意識が芽生え始めたためだと考えられます。

 

この運動がさらに広がりを見せ、誰しもが差別に対し否定的な考えを持つことで、ポリコレは決して特別な運動ではなくなるでしょう。

 

ポリコレの歴史

ポリコレの歴史は、海外と日本で大きな違いがあります。

 

いち早くポリコレの考え方が広まり始めた海外に対し、日本の場合は近年になって初めて社会的現象となりました。

 

両者の違いを見比べながら、今後のポリコレがどう展開していくのかを予想してみましょう。

 

海外

世界的なポリコレの発祥は、およそ1900年頃までさかのぼるといわれています。

 

白人とそれ以外の人種で対立を深めていた地域が多い中、アメリカを中心に差別に対する否定的な考えが広まり始めます。

 

代表的な変化として挙げられるのが、それまで差別の対象であった「インディアン」が「ネイティブアメリカン」と呼ばれるようになったこと。

 

目に見える変化があったことで、多くの人が無意識のうちに行っていた差別に気が付くようになったのです。

 

また、ポリコレがアメリカ発祥とする説に対し、ロシア革命が発祥とする考え方もあります。

 

こちらはポリコレが持つ本来の意味である「政治的平等」を訴えるための運動であり、どちらが正しいかは分かっていません。

 

しかし、いずれにしても海外でのポリコレは1900年代と早い段階で広まっており、白人優位主義から脱却することをメインに訴えたものでした。

 

これが転じて、女性の権利を訴える「ウーマン・リブ運動」など、様々な運動へと繋がっていったのです。

 

日本

1900年代にポリコレの考えが広まった海外に対し、日本では2010年代に入ってようやく変化が訪れます。

 

インターネットが広まるにつれてポリコレが浸透し始め、性別や年齢・地位・居住地など様々なシーンで行われる差別について考えられるようになりました。

 

日本で起こったポリコレの中でも、ひときわ注目を集めたのが男尊女卑に対抗する考え方です。

 

男性は外で働き女性は家事・育児をするといった考え方に問題があるとして、女性であっても社会に進出し、職場で相応の地位を獲得する権利があると訴える人が多く現れました。

 

この考え方は、現在も多くの方が訴える「フェミニズム」の始まりでもあります。

 

関連記事:フェミニズムとは? 歴史、問題、そして解決策

 

ポリコレの身近な具体例

 

「ポリコレ」という言葉は知っていても、具体的にどのような変化があったのか詳しく理解している方は少ないでしょう。

 

私たちの身近な場所でも、ポリコレの考えによって様々な変化を遂げたものが多く存在します。

 

これらが差別を是正するために変化したことを知り、ポリコレについて正しく学ぶことこそが、差別のない未来づくりに必要なことだといえます。

 

人種における表現

先ほどもご紹介したように、アメリカの先住民は今まで「インディアン」と呼ばれていました。

 

大航海時代、アメリカをインドと間違えて上陸したことからつけられた呼称であり、現在はポリコレの考えにのっとって「ネイティブアメリカン」へと変更されています。

 

日本人にとってインディアンとネイティブアメリカンの問題はそれほど身近ではないため、今もインディアンと呼んでしまう方がいますが、差別の歴史を肯定することに繋がるため注意が必要です。

 

また、白色人種・黄色人種・黒色人種の間で行われる差別も顕著であり、特に黒色人種が被害を受けるシーンが多く見られました。

 

その際、黒色人種は「ブラック」と呼ばれて差別の対象となっていましたが、現在は「アメリカンアフリカン」と改められています。

 

日本では色鉛筆やクレヨンのカラーに「肌色」という呼称が使われていましたが、すべての人に当てはまる肌の色ではないといった考えから、「うすだいだい」「ペールオレンジ」などと呼ばれるようになっています。

 

さらに、近年の美容業界では、「美白」の表現に疑問を唱える方が増えています。

 

白であれば美しいといった考えを改めるべく、日本では花王株式会社が先頭に立ち、「美白化粧品」などの表現を中止すると発表しました。

 

性別における表現

性別における表現は、これまで何も考えずに使ってきた方も多いことから、なかなか呼称を改めにくいのが現状です。

 

この根底にあるのは、「男性はこういった仕事に就くことが多い」「この仕事は女性向きである」といったナチュラルな差別。

 

性別を問わず自分の目指す仕事に就けるよう、下記のような表現の変更が行われています。

 

  • カメラマン→フォトグラファー
  • ビジネスマン→ビジネスパーソン
  • 保母→保育士
  • 看護婦→看護師
  • スチュワーデス→キャビンアテンダント

 

「マン」と名の付く職業は全て男性を想起させるため、「パーソン」への変更が進められています。

 

「スポーツマン」なども、現在は「アスリート」と呼ぶ機会が増えているでしょう。

 

反対に女性を想起させる保母や看護婦なども、男性を含めた呼称として改められています。

 

指向・思想における表現

マジョリティとマイノリティの差が顕著になりやすいのが「性別」です。

 

LGBTQ+を始め、すべての人が男性と女性に分けられることはなくなり、書類の性別欄にも変化が見られるようになりました。

 

「男性・女性・その他・回答しない」など、必ずしも男性と女性のどちらかから選ばなくても良くなったのは、ポリコレによる大きな変化といえるでしょう。

 

さらに、夫婦のうち男性の方を「主人・亭主」と呼んだり、女性の方を「嫁・奥さん・家内」などと呼んだりすることも、差別的だとして改定が進んでいます。

 

現在はLGBTQ+同士、または片方がLGBTQ+であることも多いため、相手の性別に関わらず「パートナー」と呼ぶのが一般的です。

 

映画・ゲームでも使われている?

近年ポリコレに配慮して作られた作品として有名なのが「リトル・マーメイド」ではないでしょうか。

 

原作は白色人種だと思われる主人公の人魚・アリエルが、実写版では黒色人種の俳優を起用したことで一躍話題となりました。

 

また、キャラクターを作成して遊ぶタイプのゲームでは、基本となるスキンカラーの種類を増やし、様々な人種に対応できるよう工夫されたものが多数登場しています。

 

「主人公=白色人種」といった固定観念を捨てることで、誰しもが物語の主人公になることができ、人種における差別をなくす取り組みが広がっています。

 

関連記事:マイノリティ・マジョリティとは? 多様な社会の理解を深めるために

 

ポリコレの問題点

 

近年の社会において重要な考え方であり、良い結果を生むことが多いとされるポリコレ。

 

影響力の強い芸能人やインフルエンサーはもちろん、一般人であってもSNSなどで考えが瞬時に広まり、多くの人の目に触れるようになりました。

 

しかし、ポリコレの考え方は時として問題点を生む場合があります。

 

自分の考えが誰かを傷つけてしまわないよう、現時点で問題視されているポイントについて学んでおきましょう。

 

言葉狩り

ポリコレの考え方が広まるにつれ、様々な言葉が改められてきました。

 

先ほどご紹介した「マン→パーソン」の変化など、普段使っている言葉から大きく変更されたものもあり、未だに馴染めずにいる方も少なくありません。

 

様々な言葉が変化するにつれ、言葉狩りの動きが加速しているのが第一の問題点といえます。

 

マイノリティを差別する意味で使う場合は良くありませんが、無意識のうちに使ってしまった言葉や、これまでに改定の対象ではなかった言葉に対して、過剰な拒否反応を見せる方が増えています。

 

たった一度その言葉を使っただけでも、「差別主義者」として批判の的となり、辛い思いをした経験のある方も多いのではないでしょうか。

 

ポリコレを広める上で大切なのは、私たちが自然と差別を避け、平等な社会を目指すことです。

 

特定の言葉を嫌うあまりに使った人を激しく非難していては、新たな差別が生まれる原因にもなりかねません。

 

表現の自由

言葉狩りにも通じる問題点として挙げられるのが「表現の自由」です。

 

あらゆる方面に配慮するあまりに使える言葉が減り、これまでとは違った表現をせざるを得ないシーンが増えてきています。

 

これから新しく生まれる作品に対してはもちろん、今まで脚光を浴びた作品を書き直すよう求める声もあり、各所で議論がなされています。

 

小説・漫画・映画・音楽・絵画など、さまざまなアートで表現の自由が約束されています。

 

ポリコレに配慮するあまりにアートの道をあきらめたり、素晴らしい作品が世に出ないまま埋もれてしまったりするのは良くありません。

 

ポリコレの考えと言葉狩り、そして表現の自由の3つがバランス良く存在するために、行き過ぎた排除をやめ、他者に対し優しい気持ちで接することが大切だといえます。

 

嫌気がさしている

ポリコレに積極的な動きを見せる方がいる一方、それほど興味がなく、どちらでも構わないといった立ち位置の方も少なくありません。

 

中にはポリコレを訴える声が大きすぎるあまりに、嫌気がさしている方も多いでしょう。

 

正しく広まるべきポリコレの考え方が、「何だか面倒くさいもの」として捉えられてしまうと、本当の意味で差別をなくすことはできません。

 

テレビをつけたり新しいゲームをしたり、本を読んだりといった娯楽がすべて過剰なポリコレで埋め尽くされてしまっては、本来の楽しみ方ができずに不満を感じる方が増えてしまいます。

 

先ほども触れたように、ポリコレと既存の考え方のバランスを取り、どちらに対しても配慮することが必要だといえます。

 

ポリコレとバランスを取る

「ポリコレ=面倒なもの」といったイメージを払拭し、誰しもが自然とポリコレの考え方ができるようにするには、現時点で使われている言葉や文化とのバランスを取らなければなりません。

 

下記でご紹介する2点のポイントを参考に、正しい意味でポリコレの考えが広まるように工夫することが大切です。

 

自由な対話

ポリコレに配慮すべく、日常的に使ってきた言葉の多くが使えない状態は自由とはいえません。

 

大切なのは相手に配慮する気持ちであり、特定の言葉を使ったからといってただちに悪であると決めつけるのは早計です。

 

実際に会話をする場合はもちろん、SNS上で顔の見えない相手へコメントをする場合も、相手はもちろんどんな人の目に留まっても良いような書き方を心掛けましょう。

 

批判的思想

ポリコレに対して批判的な気持ちを持っていても、それが完全に悪だとは言い切れません。

 

ポリコレが間違った道へ成長しないためにも、常に批判的な思想は必要だといえるでしょう。

 

もちろんポリコレ同様に攻撃的なワードを用いて相手を傷つけるのではなく、理論的な意見でポリコレの問題点を取り上げ、より良い方向へと導くことが大切です。

 

関連記事:多様性の時代に考える「美の基準」との向き合い方

 

まとめ

近年も成長の一途を辿るポリコレの考えですが、SNSを通じて批判を受けたり、特定の表現に対し過剰に反応してしまったりといった問題点にも注意が必要です。

 

大切なのはマイノリティに対する差別を避けると同時に、今ある表現方法に柔軟な考えを持ち、バランス良く改善を目指すことではないでしょうか。

 

一人ひとりの考えが異なるのは自然なことであるため、誰しもが自分なりに差別に対する考えをまとめ、小さな行動を積み重ねていくことが重要です。

gd2md-html: xyzzy Wed Jul 31 2024


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