ルッキズムの意味とは?やめたいけどどうしようもない?
私たちの思考に深く根付いてしまっている「ルッキズム」
良くないことだとは分かっていても、やめるにやめられない方がほとんどなのではないでしょうか。
今回はルッキズムの概念や歴史に目を向けながら、具体的にどのような点が問題となり得るのかについてご紹介します。
Contents
ルッキズムとは?
ルッキズムとは、特定の容姿を「美しい」「格好いい」などと称することで、そうでない人のことを自然と差別する考え方のことです。
他者を美しいと思う基準は人それぞれですが、相手の価値を外見だけで判断したり、内面を見ずに決めつけたりするのも立派なルッキズムの一部です。
私たちは普段、それほど意識することなく相手を容姿で判断しています。
声を大にして「イケメンが好き」「美女が好き」と言うことはなくても、パートナーにするならば容姿の整った人が良いと思う方が多いでしょう。
どれだけ優しい人がいたとしても、自分の好みに合った容姿をしていなければ、内面の優しさを知ろうとは思わないのではないでしょうか。
このように、ルッキズムは知らず知らずのうちに私たちの心に強く根付いています。
今すぐにルッキズムをやめようと思っても、そう簡単に気持ちを変えるのは難しいでしょう。
そもそもルッキズムが自分の中にあることに気が付いていない方も多いため、社会全体がルッキズムを脱却するのはさらに長い時間がかかると予想されます。
とはいえ、ルッキズムが進むあまり、内に秘めた能力が正当に評価されない社会は間違っています。
ルッキズムを当たり前のものとせず、私たち一人ひとりが相手の本質を見抜く力を持つことが大切です。
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ルッキズムの背景と歴史
私たち人類は二足歩行を始めたときからルッキズムに支配されていたわけではありません。
どこでどのようにルッキズムが生まれ、どのように当たり前のものとなったのか、その歴史を紐解いて見ましょう。
言葉自体は1970年代のアメリカ発祥とされる
ルッキズムという言葉は、「look(見た目)」と「~ism(主義)」のワードが組み合わさったものです。
これは1970年代のアメリカが発祥と言われており、これまでの外見至上主義に名前が付いた瞬間でもありました。
さらに具体的にいえば、ルッキズムという言葉を使い始めたのはアメリカの日刊紙・ワシントンポスト。
ルッキズムという造語を紹介した上で、外見の違いに関する差別的な扱いが問題視されているとの記述がありました。
つまり、1970年代から既にルッキズムに問題点があるといわれており、「どうにかしなければならない」といった動きが進んでいたことが分かります。
一般人同士がパートナーを見つけるときだけでなく、受験や就職など人生を左右する場面で容姿が優遇されることがいかに不平等かを説いていたのです。
ルッキズムの発祥には諸説あるため、上記は一説にすぎません。しかし、外見至上主義が早い段階から問題視されていたことは間違いないといえそうです。
美の基準が確立されたことによる広まり
古い時代の日本では「うりざね顔」と呼ばれる色白で面長の顔が美しいとされるなど、各時代において様々な美の表現がありました。
明治時代に学生が使っていた教科書には、「美人はその外見が故に得をすることが多く性格が悪くなりやすいが、そうでない人は好かれようと一生懸命生きるため性格が良い」との記載があったそう。
つまりこの時代には多くの人が同じ美の基準を持っており、美しい人を妬む気持ちも少なからず持ち合わせていたのでしょう。
また、欧米の文化が流入し始めた明治時代では、これまでの閉鎖的な文化とは異なり、社交の場に顔を出す人が増えました。
その結果相手のパートナーを見定める機会が増え、家柄や職種同様、見た目の美しさも話の種になることが多くなったのです。
2000年代以降は特に顕著に
時代と共に変化を見せてきたルッキズムの考え方ですが、2000年代以降は特に顕著なものとなりました。
「美しさとはこうである」といった特定の美がメディアによって取り上げられたり、SNSを通じて美しい人が話題になったりしたことで、大衆の中で美の基準がハッキリと固まってきたのです。
近年は美の基準に少しでも近づきたい方を対象に、格安で受けられる美容整形の広告を目にする機会も多いでしょう。
多くの方があらゆる手段を用いて美を目指すことは悪いことではありません。
しかし、元々の良さを捨て、平均的な美しさを求めるあまり、大勢が同じような風貌になってしまうのも問題です。
「美とは〇〇である」といった決めつけを捨て、自分の容姿に良いところを見つけるのも大切なことなのではないでしょうか。
ルッキズムの問題点
良いものではないと分かっていても、どうして良くないのかを具体的に考える人の少ないルッキズム。
この考えが蔓延り続けることで一体どんな問題があるのかを正しく知っておきましょう。
差別やいじめが助長される
ルッキズムによって外見に差があるとみなされた人々は、時として差別やいじめの対象となる場合があります。
物事の善悪が分からない子どもたちの間ではもちろんのこと、時には大人の間でもひどいいじめが起こり、被害者に大きな影響を及ぼしています。
本当は話し好きなのに外見を気にして会話ができず仲間が作りにくくなっていたり、優れた能力を持っていても発揮する場を与えてもらえず何もできないと思われてしまったり、容姿によって損をした経験のある方も多いはずです。
こういった差別やいじめは、「差別」や「いじめ」というワードを使っているからこそありふれたことのように思えますが、いわば犯罪の一種であることを忘れてはいけません。
中にはこういった差別やいじめを苦に命を絶ってしまう方もいるため、私たち一人ひとりが例外なく、自分の一言の重みを実感して生活しなければならないのです。
能力が正当に評価されない
ルッキズムに関する日本の歴史で少し触れたように、かつては「美人は性格が悪い」「そうでない人は性格が良い」といった偏見がありました。
現在は逆で、見た目が美しくないとみなされた人は上司や先輩から正当な評価を受けられず、能力が眠ったままになっている可能性があります。
これは当人にとって辛いことであるのに加え、企業や社会全体にとっても大きな損失となるでしょう。
自分の能力について正しくアピールできる人であれば良いですが、中にはそうでない人もたくさんいます。
見た目に関わらず、その人がどんな能力を持っているのか、フィルターを通さずに見てみることが大切です。
心理的な健康問題に発展している
美への欲求が多くの人の心に影響を及ぼすことはもちろんですが、時としてその感情が健康問題として現れる場合があります。
特にルッキズムを気にしていない方であれば問題ないようなことでも、周りの目が気になる方や、過去に容姿について嫌なことを言われた経験のある方は過剰に反応してしまうでしょう。
結果として大勢の人がいる場所に恐怖を感じたり、鏡を見ることが怖くなったりといった症状が出やすくなるのです。
また、近年の女性を中心に、「痩せている=美しい」といった考え方が広まっているのも問題の一つです。
「男性よりも痩せていなければならない」「周りの女性はもっと痩せている」といった強迫観念にかられ、本来痩せる必要がないにもかかわらず過剰なダイエットをしてしまう方も少なくありません。
その結果、過食症・拒食症といった食事面でのトラブルや栄養失調、生理不順などの健康問題が現れやすくなってしまうでしょう。
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ルッキズムの解消に向けた対策と取り組み
ルッキズムは一朝一夕でなくせるものではありませんが、このまま放置しても良い考えではないため、日々少しずつ意識を変化させていかなければなりません。
いずれ社会からルッキズムの考えがなくなるよう、一人ひとりができることを始めていくと良いでしょう。
教育・啓蒙活動と意識改革
第一に、ルッキズムが自然と身についてしまうのは、子どもの頃からの刷り込みが原因だといえます。
「痩せている方が美しい」「目がパッチリ大きい方が綺麗」といった考えを子どもに植え付けてしまわないよう、早い段階から「誰しもがみんな違ってみんな良い」といった教育を行うことが大切です。
子どもたちは良いことも悪いこともすぐに吸収してしまうため、大人の身勝手な発言でその後の人生が左右されないよう、子どもの前での会話は特に注意しましょう。
また、多くの大人が自分の考えを見直し、ルッキズムが招く影響を正しく知ることも大切です。
何の気なしに発言した一言が誰かの運命を変えてしまうこともあるため「誰かを傷つけないように」といった曖昧な行動ではなく、「ルッキズムを無くす」といった明確な目標を持つべきです。
メディアの役割の変化
私たちの思想に大きな影響を与えるメディアを使って、ルッキズムの廃止を訴えることも効果的だといえます。
これまでメディアといえば、美しいと評判の俳優や女優・モデルなどを使い、私たち一般人が彼らのような美しさを目指すよう誘導してきました。
もちろんこれは悪意の元行われたことではありませんが、現に私たちの間にはルッキズムが蔓延り、辛い思いをしている人がいます。
特定の人を美しいと持ち上げるのではなく、様々な外見の人をポジティブに取り上げることも良い傾向の一つです。
特定のタイプばかりがテレビに出演しているのを見れば、それに当てはまらない人は自然と自分が美しくないと感じてしまうでしょう。
あらゆるタイプの人を全て平等に「美しい個性」として紹介することで、自分の外見そのものを愛し、自信を持てるようになるのではないでしょうか。
また、お笑い芸人の容姿をいじって笑いに変える文化もまだまだ消えたとはいえません。
一部の人からは笑いが取れるものの、ある人たちからは不快な目で見られてしまうでしょう。
容姿をいじることなく、単純な笑いのセンスで仕事がもらえるよう、メディア全体が変わって行く必要があるのかもしれません。
制度改革による対策
就職などで個人の能力よりも外見が重視されてしまうのを防ぐために、公平な基準を設けておくことも大切です。
これまで「美しい」とちやほやされてきた人は、他者とのコミュニケーションに強く、面接でもハキハキと話せることでしょう。
反対に外見を貶された経験があれば、初対面の相手とイメージ通りの会話ができなくても無理はありません。
こうした差別を取り除くため、各企業が公平な採用基準を設けることが推奨されています。
もちろんコミュニケーションスキルも基準の一つとなりますが、容姿を基準に加えることなく、その人個人の能力をしっかりと見られるような評価を行う必要があるでしょう。
もちろん容姿以外にも、生まれや年齢・性別などでの差別も撤廃するべきだといえます。
特定のイベントの廃止やルールの変更
近年になっても様々なシーンで盛り上がりを見せる「ミスターコンテスト」や「ミスコンテスト」
学校内で行われるものもあれば、全国から美しいと評判の少年少女が集まって競い合うものまで様々です。
もちろん普段の生活や他の魅力も合わせて評価が行われますが、その大半は容姿によって決定されるでしょう。
もしも本当にルッキズムをやめるのであれば、ミスコンそのものを廃止するべきだといえます。
しかし単純に容姿で競い合うのではなく、「〇〇部門」というようにカテゴリを分け、様々な人が1位を狙えるようにするのも良いでしょう。
過度にルッキズム反対を唱えて逆に差別されてしまわないよう、周りが受け入れられやすいプランを提案することが重要です。
ルッキズムをやめたいけどやめられないのはどうしようもない?
先ほどもご紹介したように、ルッキズムはやめようと思ってやめられるものではないでしょう。
自分一人だけが変わっても、周りの環境が変わらなければ、結果として差別やいじめはなくなりません。
インターネットで検索すると、同じように「やめたいけどやめられない」と感じ、声に出せない悩みを抱えながら辛い思いをしている人が多いのが分かります。
ルッキズムに関して大切なのは、「今の自分の気持ちを無視しない」ということではないでしょうか。
ルッキズムが良くないと感じるのも、どうしてもやめられないと悩むのも全て大切な自分の気持ちです。
これらに嘘をついてまでパートナーを選んだり所属する団体を決めたりすると、後々辛くなるのは自分です。
自分の本当の気持ちを尊重しながら、それでもルッキズムが良くないと感じた自分を褒めてあげましょう。
まとめ
ルッキズムは古くから世界中の人々に根付いており、それぞれの地域で異なる美の基準があるのが分かります。
すぐになくすのは難しくても、ルッキズムが推進されるべきでない考えだと知っておくだけで、あらゆる場面での差別をなくすことに繋がるでしょう。