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本当の自分が分からない
「本当の自分」って何なんだろう。
ふと、そんな問いが浮かぶことってありませんか。
親の前、友達の前、職場、パートナーに見せる顔、どれも全部少しずつ違う。
真面目なしっかり者のときもあれば、子どものように甘えたくなるときもある。善良に生きていても、たまに道を踏み外すことだってある。
SNSが当たり前になった現代では、その「顔」の数はさらに増えています。
仕事用、プライベート用アカウント、何も考えずつぶやける、誰にも教えていない裏アカウント。複数アカウントを使い分け、それぞれ違う自分を見せている人も多いのではないでしょうか。
私たちはこんな風に、相手や環境に合わせていろんな顔を使い分けます。
「誰か」のイメージ通りの私でいなきゃ、がっかりされるかもしれないから。それで離れていってほしくないから。
でもそれに疲れ果て、途方に暮れるときもあります。
こんなの私じゃない、素の自分に戻りたい。そもそもいろんな顔を使い分けるなんて、相手も自分も騙しているのと同じではないか。
ずっと変わらない「本当の自分」を貫けたら、どんなに楽だろうか。
だけどもうどれが「本当の自分」なのかも分からない。
そんな葛藤を、誰しも一度は抱えたことがあるのではないでしょうか。
そもそも本当の自分って?
そもそも、私たちが探し求める「本当の自分」ってどんなものなのでしょうか。
自分のなかにある、唯一無二の、確固たる存在。なんとなく、そんなイメージがあるかもしれません。
だからこそ、今は「本当の自分」からかけ離れているとか、周りにも自分にも嘘をついているというような考えが浮かび、私たちは苦しくなります。
でも本当に、「本当の自分」とはたった一つしか存在しないのでしょうか。
一歩引いてその定義を見つめ直してみると、少し心持ちが変わるかもしれません。
「周り」によって形成される
あなたという人間は、あなた自身が感じて考えるからこそ存在しています。
そういう意味では、本当の自分とは「自分のなか」で形成されるように思えるかもしれません。
でも、その感じて考えるということ自体、必ず「周り」と関わっているはずです。
仕事がデキる人に見られたいから、ちょっと背伸びして頑張ろう。家族や親友の前では、ポンコツなところを見せたって平気。
仕事の日は小ぎれいな身なりをするけど、近所のコンビニは伸びきったTシャツでいいや。誰も私を知らないから旅先では、いつもと違う行動や選択をしたくなる。
大人になるとよく「自分で考えて行動しろ」と言われますが、どんなに自分で考えたとしてもその起点はあくまで周りの人や環境にあります。
あの人は雑談多めのほうが仕事の話がスムーズに進む、この人は真面目なタイプだから端的に伝えたほうが良い。
SNSだって同じで、見ている人のタイプを考えて、投稿する内容を調整します。
そんな風に、私たちは常に周りとの関係のなかで自分の立ち居振る舞いを決定しています。
だから「本当の自分」とは、たしかに「自分」ではあるものの、「周り」によって形成される相対的なもの。
相手や環境によってアメーバのように変化する、そもそもの輪郭があいまいなものなのです。
「複数」存在する
世の中には多重人格や八方美人ということばがあり、これらはどちらかというとネガティブな使われ方をします。
誰にでも良い顔をして相手を騙している、そんなニュアンスが含まれていますよね。
さらに、これを裏返すと、あたかも「本当の自分」がたった1つしか存在しないようにも思えます。
常に「本当の自分」でいるべきで、それが人として誠実な振る舞いだ、そんな風にも聞こえてきます。
だから私たちは、自分が「いろんな顔」を持っていることに嫌気が差し、「唯一無二」の本当の自分を見つけようともがく。
でも本当の自分が「周り」によって形成されるのであれば、極端に言えば、関わる人や身を置く環境の数だけ「自分」が存在する可能性があります。
ここから「唯一無二」の本当の自分を定義するのは、かなりハードルが高く感じられませんか?
かといって、いきなり「本当の自分」が複数あることを受け入れろというのも簡単ではありません。だから私たちは悩んでいるのですよね。
では、その「いろんな顔」を全てくっつけたのが「本当の自分」と考えるのはどうでしょうか?
どれだけいろんな顔を使い分けたとしても、その組み合わせだけは唯一無二です。
切り取った一部もその集合体も、どれもが紛れもなく「本当の自分」です。それぞれの仮面を別人と捉えてしまうか、仮面を上手に使い分ける一人の人間と捉えるか。
近くでみるか俯瞰でみるか、問題は視点にあります。
そう考えると、全部ひっくるめて「本当の自分」だということが、少しずつ腑に落ちてくるのではないでしょうか。
「時間」とともに変化する
本当の自分を見失ってしまう要因は、もうひとつあります。それは本当の自分とは「時間」とともに変わるということ。
子どもの頃と大人になった今の自分では、考え方はかなり違うはずです。
子どもの頃は分からなかったことが分かるようになり、子どもの頃はシンプルだったことが複雑に見えることもあります。大事なことと、そうでもないことの基準も変わっているかもしれません。
もっと短いスパンでそれを感じることもあるでしょう。人生において、昨日と今日の価値観が180°ひっくり返ることは、別に不思議なことではありません。
そうした感じ方や考え方の変化にふと気づいたとき、私たちはうろたえてしまいます。「私はこんな人間ではなかったはず」あるいは「これまでなんて人間だったんだろう」と。
でも、過去と今の自分、どちらかが間違っていたのかというと、そうではないはずです。
子どもの頃は子どもなりに、昨日の自分は昨日の自分なりに、そのときの環境や状況に則した「自分」でいたはずです。その環境や状況が変わったから今の自分も変わった、ただそれだけの話です。
本当の自分が「周り」によって形成されるものである以上、時間の経過とともに、環境や付き合う人が変われば「本当の自分」も変わる。
「確固たる」本当の自分が見つからないのは、ある意味、当然のことなのです。
本当の自分を見失ったときのヒント
「本当の自分」とは、何か1つ決まった枠があるわけではないということが、少しずつ理解できてきたかと思いますが、心から腑に落ちるまでには時間がかかるかもしれません。
それに理解したからといって、悩みがすぐに解消されるわけでもないでしょう。はっきりとした輪郭がないものに、不安を抱くのはごく自然なことです。
大切なのは、その不安に飲み込まれず、体勢を立て直すスイッチを知っているかどうかです。
そのスイッチは人それぞれですが、ヒントになりそうな考え方をお伝えしておきます。
いろんな顔の「良い面」に気づく
私たちが確固たる「本当の自分」を探してさまよってしまうのは、そのほうが楽だから。
ものづくりに例えて考えてみましょう。
規格が決まった工場生産なら、同じ品質のものを一度に大量生産できますが、職人の手作りだと、どうしても微妙な差が生じるうえ生産量も限られます。労力、効率を考えると、どう考えても工場生産に軍配が上がりますよね。
工場生産のように、本当の自分にも「規格」があれば、周りに合わせて繊細に調整する必要もなく、余計なストレスも減りそうな気がする。だから、私たちはその型を探したくなる。
では、時間も労力もかかる職人の手作りはダメかというと、そんなわけはありませんよね。1つ1つ微妙に違う風合いは「味」と評価され、多くは生産できないことは「希少性」という価値になります。
だとしたら「本当の自分」も、少しずつ違う顔を「味」、それぞれを見せる相手が限られることを「希少性」ととらえても良いのではないでしょうか?
自分だけに見せてくれる顔があると、人はちょっと嬉しくなります。逆に、いつもとは違う顔や、自分には見せない顔があることを知ると、より惹かれてしまうことだってあります。
いろんな顔を使い分けるのはたしかに疲れますが、それで作られるあなたの魅力があることにも気づいてくださいね。
そしてもう一つ、あなたがいろんな顔を使い分ける理由にも目を向けてください。
相手が気持ちよくいられるように、その場の空気が良くなるように、そして自分が傷つかないように。そのためにはどう振る舞えばいいか、知恵を絞る。
もがきながらもいろんな顔を使い分ける背景には、そんな優しさがあると筆者は考えます。だって、周りのことも自分のこともどうでもいいなら、こんな面倒で疲れることはしないはずです。
たくさんの顔を持つ人は、それだけ優しさや知恵を持っている。
こうしたいろんな顔を持つことの良い面に気づけると、少し「本当の自分」探しの呪縛から解放されるのではないでしょうか。
「不安の原因」を深掘りしてみる
人は意外と、不安の原因を明確に理解していないものです。
漠然と将来が不安、なんとなくこのままじゃ良くない気がする。そんなことってよくありますよね。
「本当の自分」を見失い不安に襲われているときも、その可能性がゼロではありません。そもそもあなたは、なぜ「本当の自分」を見つけたいと感じているのでしょうか。
もしかしたら、何か現状に不満があるのかもしれません。
たとえば、職場では人間関係も仕事もそれなりに上手くいっている。お給料も生活も安定して何不自由ないはずなのに、何となく満たされず「本当の自分」ではない気がする。
実はその背景には「もっとバリバリ仕事をしたい」という野望、あるいは「もっとミニマムな自給自足の暮らしのほうがいい」といった気持ちが隠れているのかもしれません。
あるいは、あなたは今すごく疲れているのかもしれません。
たとえば、ストレートな性格の人が空気を読んで振る舞うことは、出来なくはないけれどかなり疲れることです。
それが今までは職場だけで十分だったのに、何らかの環境の変化で、家庭や友だちと会うときもそうしなくてはいけなくなった。気づいたら、ずっと自分にとって疲れる顔ばかりしている。
だから気張らずいられる「本当の自分」に戻りたい。
こんな風に「本当の自分」探しには、そこに至るまでの原因や過程があるはずです。ただその多くは、ほんの些細な出来事だったり、じんわり変わっていくものだから気づきにくい。
そんなときは、一度紙に書き出して心と頭を整理することも大切です。
なぜ「本当の自分」を見つけたがっているのか?
現状に何か不満があるのか?それとも単にいっぱいいっぱいなのか?
その原因はどこにあるのか?自分で解決できることなのか?
一つずつ地道に深掘りしていくと、意外と具体的な解決策にたどり着くかもしれません。
たとえば、転職活動や異動願い、業務量の調整。あるいは新しい習いごとや家族旅行、旧友との他愛もない話だったり、その解決策は十人十色です。もちろん解決策によっては、すぐには実行できないかもしれません。
でも少なくとも、実体のない唯一無二の「本当の自分」を探し求めるより、遥かに地に足がついていて手を伸ばしやすいものではないでしょうか。
本当の自分は揺らいで当然
いろんな顔があることに嫌気が差しているのに、それ自体を肯定しろだなんて”とんち”のように感じられる内容だったかもしれません。
でも、無理矢理「本当の自分」という枠を作り上げ、そうでないときの自分を否定して苦しむよりは、肩の荷は少し下りるのではないでしょうか。
少しずつ、自分のいろんな顔、そしてそのいろんな顔を持つ自分自身の魅力にも、気づいていってあげてくださいね。
ライター:プロフィール
とにかく「言語化」することを軸に、
心や頭に浮かぶ漠然とした不安やモヤモヤも「言語化」