美味しい牛乳作りからスイーツに向き合う。
北海道の森林で始まるお菓子屋さんの “放牧実験”とは?
今年8月。雪解けを終えた北海道の広大な森林で、ある実験が始まろうとしています。その広さは、東京ドーム約4個分。“地球、動物、人に優しい牧場運営の実験と、その材料を使った美味しいお菓子作り” がコンセプト。スケールも内容もビッグなこのプロジェクト、意外にも手掛けているのはお菓子屋さんというところからして気になります。さて、放牧から始まるスイーツ作りとは・・・?
Contents
いい牛を育て、牛乳をしぼり、美味しいスイーツを作る
チーズタルトの大ヒットでおなじみの「BAKE (ベイク)」。創業者が退社後に立ち上げた「ユートピアアグリカルチャー」は、美味しいお菓子作りのために美味しい原材料を追求。試行錯誤の結果、たどり着いた“放牧”による牛乳作りに挑戦している会社です。
「お菓子は毎日食べる必要のない嗜好品です。 だからこそ代替物ではなく、本物の最高の原材料を求めて放牧酪農や平飼い養鶏場を始めました。本プロジェクトでは、これからもお菓子屋として本物の原材料を使い続けていくために、日本の重要資源である山の活用を視野に入れ、動物がいかに山を再生していくかを証明していきたいと思っています」
そう語るのは、2020年にユートピアアグリカルチャーの活動を開始した代表取締役の長沼真太郎さん。
彼が目指すのは地球環境に悪影響をもたらすことなく、心から楽しめる、本当に美味しい”お菓子作りの明るい未来”。そのプロジェクトの舞台として選ばれたのが、自然豊かな北海道でした。
その目的をさらに詳しく、まずは 「日本の重要資源である山の活用」についてみていきましょう。
日本の国土約70%が森林、その多くが「死んだ森」になっている!?
3分の2が森林といわれる日本の国土。近年、管理する集落や林業の継ぎ手がいないことで整備が行き届かないことも、重要な解決課題になっています(※1)。手入れされない森=「死んだ森」が増え、森がどんどん荒れていってしまうとーー残念なことに、森が本来持っているはずの地球温暖化の主な原因とされる温室効果ガスの吸収能力も、十分に発揮されません。美しい森を守るためにも、環境のためにも、適切な整備や伐採は必要不可欠なのです。
※1 農林水産省林野庁 令和2年度 森林及び林業の動向(第1部 森林及び林業の動向)より
SDGsのゴールを握るのは“森林の有効活用”
2030年に向けて各国が取り組んでいるSDGs(持続可能な開発目標)のゴールのいくつかに、この森林の有効活用が深く関わっています。林野庁が、国連森林フォーラム(UNFF)、国連食糧農業機関(FAO)、モントリオール・プロセスなどの国際対話に積極的に参画するなど、国をあげて持続可能な森林経営に向けた取り組みを推進していることからも、その重要性は伝わってきます。
温暖化現象の一因とも言われる酪農と美味しい牛乳作りとのジレンマ
会社立ち上げ当初から放牧酪農による温室効果ガスの削減と、美味しい牛乳作りを目指してきたユートピアアグリカルチャー。その原動力となっているのは先の長沼さんの言葉にもあったように「お菓子の原材料としてよく使われる牛乳やバターにこだわりたい」という情熱。より良い原材料を探し求めた結果、より良い牛を育てる牧場運営を目指すことになったのだそう。
ところが、 牧場運営について調べていくと、そこには思わぬ現実が。それは・・・牛の健康や、地球環境への影響という課題でした。ご存じのとおり、世界的な人口増により肉食や乳製品のニーズが高まっています。その一方で欧米を中心に、温暖化現象を及ぼす CO2 の発生源として、畜産や酪農を問題視する世論も強まっていて・・・。
そんな背景も影響しているのか、昨今では「乳製品を使わない」「植物性のものに置き換える」といった選択をするお菓子屋ブランドも増えてきています。
「乳製品を使った洋菓子にこだわりたい」
「やはり今まで作られてきた乳製品を使った洋菓子にこだわりたい。地球にも牛にも優しいやり方はできないものか」長沼さんは理想を求めて模索しました。そして、行きついたのが放牧による牧場運営だったのです。
長沼さんはBAKE退社後、スタンフォード大学の客員研究員に。アメリカ西海岸の農業のスタートアップを視察したり、リサーチなどから学んだ自身の経験を活かしながら、北海道大学とも連携。放牧による乳卵製品やお菓子の製造・販売を通じて、人、動物、地球環境に負荷の少ない持続可能なビジネスのモデルづくりを目指すことになりました。そして、その研究と実験をさらに推し進めていくために「FOREST REGENERATIVE PROJECT」を立ち上げたのです。
22世紀に続く酪農とお菓子作りのために
まず最初に、「死んだ森」の有効活用に着目。牛は山地や森林地帯でも育てられることから、放牧酪農の一種である山地酪農にチャレンジすることに。そこで、今回のプロジェクトの肝である“死んだ森に動物が入ることで生き返るかどうか”の実験が始まったのです。
牛を放牧することで、牛の糞が肥料となり土壌の微生物量が増えます。すると土壌が活性化し、 植物もぐんぐんと育ちます。その草を食べて、また牛も育っていく・・・という循環を形成することが理想。森林の成長や土壌の炭素循環、微生物の数値を記録・分析して森林が生き返るのかを見守るという、まさに“放牧実験” がスタート。
東京ドーム約4 個分の森で行われる、放牧と環境の関係性のリサーチですから一朝一夕にはいきません。じっくり数年は腰を据えて、長い目で実験は行われていきます。
まずは、鶏舎が2棟と牛や馬が約10頭休める場所と卵の出荷施設を建設。鶏の体に負担をかけない鶏卵を育て販売しながら、山地で酪農するためのノウハウを蓄積していくことを目指します。
さらに、今回の実験ではありのままの自然が残った元の土地に新たな植物を植えるというチャレンジも。新しい植物は、土壌の栄養素の循環に関わりながら動物の餌にもなるという狙い。それは、自然の力を引き出す新たな森林の生態系作り。人と動物と自然の関わりの模索は始まったばかりです。
北海道大学農学部との共同研究
今回のプロジェクトは、これまでも一緒に研究を進めてきた北海道大学農学部内田研究室との共同研究です。プロジェクト施設の設置場所に札幌市内の森林を選んだのも、北海道が本社所在地であるユートピアアグリカルチャーの社員と北海道大学農業学部内田研究室のメンバーが、より親密にコミュニケーションがとれる実験場所であることも大きな理由になっているようです。
いつどのような草を食べさせると、どのような質の乳が取れるのか。放牧によってCO2やメタンガスなどの温室効果ガスを削減することが本当に可能なのか・・・。牧場運営において、放牧の導入のハードルとなる運営ノウハウと、乳質の安定に向けて連携しつつ、さらに研究が進められます。
プロジェクトには内田研究室を始め、 施設の全体計画や設計には国内外で活躍する設計事務所 DOMINO ARCHITECTSが、ランドスケープの設計には人と動植物が関わる「生命の循環」の研究と社会実装を目指す研究者である片野晃輔さん、施設で採れた卵を販売する自動販売機の企画設計には東京2020オリンピック・パラリンピックで聖火台のエンジニアリングを担当したクリエイティブスタジオ nomena の武井祥平さんが参加。それぞれの専門分野と知識を活かして、地球にも動物にも人にも“美味しい環境作り”を目指してタッグを組みます。
当面は商業的に利益を求めるのではなく、いかに地球と動物と人が協生できるビジネスが実現できるかの実践を行う場となる予定だそう。そしてプロジェクトを通して、環境に優しくて持続可能な牧場経営のノウハウを蓄積。将来的にはそのノウハウとともに、放牧可能な土地を貸し付けて一緒に経営を行うシェアミルカー(※2)と呼ばれる制度にも活かしたいと、先々の目標も見据えて動き出しています。やる気や技術はあるものの資金のない酪農家の就農についても後押しできそうな制度として期待。
シェアミルカー制度
企業オーナーと実際の牧場経営者が異なる経営体制のこと。初期投資や設備はオーナーが用意し、牧場経営 はミルカー(牧場主)が責任を持つ。 技術は持っているが、資金がないという酪農家の就農に有効とされている。日本ではまだ前例は少なく、酪農大国ニュージーランドでは盛んに用いられている制度。
地球環境に悪影響をもたらすことなく、むしろ環境の改善に貢献して作られるスイーツ。作り手も、消費者も心から楽しめるスイーツこそ、究極のスイーツといえそうです。何よりもストレスが少なくのびのびと健康的に育った牛や鶏からとれた牛乳や卵、それを使ったお菓子だなんて、ぜひ食べてみたいものです!
壮大な実験の様子は、ユートピアアグリカルチャーのホームページに随時アップされていくそうなので、応援の気持ちも込めて覗いてみて。8月の竣工を目指して建設が進むこのプロジェクトは、モデルファームとしての役割だけでなく、カフェやレストラン、ホテルなども計画中なのだそう。北海道を訪れる機会があったら、お菓子だけでなく、こちらの体験型施設にも足を運んでみたいですね。見て、知って、味わって、畜産業への理解をもっと深めることで、私たちそれぞれのエシカルアクションにつなげることができれば。明るい未来に向けた取り組みを、大切に見守っていきましょう。
ユートピアアグリカルチャー
https://www.utopiaagriculture.com/