ときどき、心に引っかき傷を残していくような本に出会うことがあります。私にとって、シェリル・ストレイドの『Wild』がまさにそれでした。
一見、私には関係ないように思えるかもしれません。私は結婚したこともないし、母は健在で、ドラッグやアルコールに苦しんだ経験もありません。でも、シェリルの混乱に満ちた、無防備で、生々しい人生の意味を探す旅が、思いがけず私の深い部分に触れてしまったのです。正直に言うと、その感情に出会いたくなかった。
物語は、シェリルが母の死と向き合うところから始まります。彼女はまだ22歳、ようやく大人になろうとしていた頃、最も大切な存在が、がんによって突然奪われようとしていたのです。
「私は22歳だった。彼女が私を妊娠したのも同じ年齢だった。私が彼女の人生に現れたその時に、彼女は私の人生から去ろうとしていた」
母娘の関係は、たとえ健全であっても常に複雑です。説明のつかない、繊細でややこしい感情が、あなただけの記憶に結びついて織り込まれているようなもの。私は母を愛しています。でも、近しいと感じたことはあまりありません。母親と“親友”のような関係を築いている友人たちが、少しうらやましかった。
でも、その距離が私にくれたものもあります。それは、強さや自立心。そして、孤独の中でしか育まれない、静かな平穏。
シェリルと母親との関係もまた、複雑でありながら、深い愛に支えられていました。暴力的な夫と別れた母は、3人の子どもを一人で育てあげます。その後パートナーも見つけ、厳しい暮らしの中でも「あなたは愛されている」と伝え続けました。その静かで確かな愛が、シェリルの世界の土台だったのです。
母の病がわかると、事態はあまりにも早く進行しました。その衰え方は、残酷で容赦がなかったのです。生き生きとして笑っていた母が、少しずつその光を失っていく姿を見ることは、運命に何度も背後から刺されているような苦しみだったのです。
そして母が最期の息を引き取ったとき、シェリルはそばにいませんでした。彼女は弟と妹に、病院に来るよう説得していたのです。きっと最後になるかもしれないから、と。でも、彼らは恐怖と拒絶感に縛られて、来ることができなかったのです。ようやく全員が病院に来たときには、すでに母は亡くなっていました。
その出来事が、彼女を完全に打ちのめしました。深い悲しみが彼女を飲み込み、浮気をし、ドラッグやアルコールに逃げ、自己破壊のスパイラルに陥っていきます。深い喪失をどう処理していいかわからないときに、多くの人がたどる道でもあります。尊厳も、アイデンティティも失い、彼女は「やり直す」ことを選びました。その手段が、米国西海岸を縦断する過酷なハイキングコース「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)」だったのです。
最初は、「ちょっと大げさじゃない?」と思いました。失恋や人生のどん底を癒す手段が、荒野を一人で3か月も歩くこと?いかにも主人公気取りだな、とすら感じました。
もちろん、心が傷ついたときに旅に出る人はたくさんいます。新しい趣味を始める人も。でも、トレーニングもろくにせず、国内でもっとも過酷なハイキングに挑むなんて、無謀にしか見えませんでした。
案の定、準備不足は明らかでした。重すぎて持ち上げられないバックパックに「モンスター」と名付け、靴のサイズも小さすぎて、すぐに足が血だらけに。読んでいて「なんでそんなこともわからないの?」と呆れてしまったほどです。
でも、もしかするとその無鉄砲さこそが、彼女の内面を表していたのかもしれません。彼女はとにかく、自分を縛るすべてから逃げ出したかった。冷静な判断なんてできる状態ではなかった。ただ、何かを変えたかった。
それでも彼女は、歩き続けました。絶望、涙、後悔、あらゆる感情に飲まれながらも、足を止めなかったのです。なぜならこれは、自分に誓った旅だったから。
ここで、私の中の何かが変わりました。
シェリルは、自分を美化しようとしません。むしろ正反対。怒りっぽくて、無計画で、性に奔放で、心がごちゃごちゃ。でも、それって誰しもが一度は経験する姿ではないでしょうか。もしかすると、あなたも今その途中かもしれない。
道中、彼女はさまざまな人に出会います。温かい言葉、ちょっとした食べ物、乗せてもらった車。ほんの小さな助けが、彼女の壊れかけていた「人への信頼」を少しずつ修復していきます。どん底のときに手を差し伸べてくれる存在は、どんなに短い出会いでも、永遠に心に残ります。
彼女がサイズの合わない登山靴を崖から投げ捨てる場面があります。それは象徴的な瞬間でした。もう必要のない自分を手放して、本当の自分に少しずつ近づいていく。それは物理的な軽さだけではなく、心の重荷を下ろしていく過程でもありました。
『Wild』の魅力は、彼女が特別な人ではなかったこと。ハイキングのプロでもなければ、人生をうまく生きていたわけでもない。ただ、自分の人生を立て直したいと願った、ひとりの壊れた女性だったのです。
私自身、ずっと自分で自分を守らなければならない人生を送ってきました。だからこそ、彼女の物語には静かに共鳴しました。私たちは時に、自分を守るあまり、大切な人を傷つけてしまいます。そして、自分自身が傷ついて初めて、愛はちゃんとそばにあったんだと気づくことがあります。
「カリフォルニアが、絹のヴェールのように私の後ろに流れていった。もう自分がバカだとは思わなかったし、“最強のアマゾネス”でもなかった。ただ、私は強くて、謙虚で、自分の内側にちゃんと集まっていた。私も、この世界でちゃんと安全なんだと思えた。」
限界まで自分を追い込むと、謙虚さを思い出します。汗をかき、血を流し、痛みを感じる。それは不快だけど、確かに“生きている”という感覚です。
人から「すごいね」「タフだね」と言われることがありますが、私自身はそんなふうに思ったことはありません。ただ、何度も転びながら立ち上がった、それだけです。
人は痛みに耐えたくないから、自分を変える旅に出ることを恐れます。でもその不快さこそが、感謝や優しさ、謙虚さを教えてくれるのです。
人生は一直線ではありません。失敗し、立ち止まり、道を修正しながら、ようやく「信じられる自分」に近づいていく。シェリルはそれをやったのです。理由がわからなくても、自分を信じて歩き出し、歩き続けました。
彼女は3か月におよぶ長い旅の果てに、オレゴン州の「ブリッジ・オブ・ザ・ゴッズ」にたどり着きました。白いベンチに腰を下ろし、水面を見つめながら、そっとこうつぶやきました。
「それを、ただ“そうあるもの”として受け入れるって、なんて野生的(Wild)なんだろう。」

ライター:プロフィール

インタビュー:條川純 (じょうかわじゅん)
日米両国で育った條川純は、インタビューでも独特の視点を披露する。彼女のモットーは、ハミングを通して、自分自身と他者への優しさと共感を広めること。