「何でもかんでもストレス」になる性格
私はいわゆるHSPだと思います。
基本的に、何でもかんでもストレスに感じやすい性格。
誰かのちょっとした素振りや声色、何気ない一言が、のどに刺さった魚の小骨みたいに、地味にずーっと心に残り続けるんですよね。
相手はもう忘れているような些細なことでも、私の中では延々とリピート再生されて、気がつくとその場面をぐるぐると思い返している。
それが知り合いに対してだけでなく、街ですれ違う人、電車で乗り合わせた人、カフェで隣になった人。
そんな、もう二度と会わないかもしれない人のことまで、いちいち気になってしまうんですよね。
そんなだから、自分の言動にも厳しくなります。
相手が不快にならないよう、場の空気を悪くしないよう、いろいろ細かいところに気を遣うわけで、そりゃもう毎日気疲れですよね。
ましてや、相手がそれに気づかない、無下にする、当たり前のような態度を取るなど、思いやりに欠ける言動をされると、そのストレスは一気に膨らみます。
道を譲ったこちらに、目もくれずに電話に夢中になる人や、電車の座席で、荷物も体もギュッと縮めて座るこちらに、スマホを操作する肘をガンガンぶつけてくる人とか。
そんな場面に出くわすと「こっちの気も知らないで…!」と勝手にイライラしてしまうんですよね。
自分でも嫌になっちゃう。
そして、そんな私の様子を見て、周りが言うのは「気にしすぎ」の一言。
そう言われるたび「そんなこたぁ、分かってるんですよ」と、いつも心の中で言い返します。
諦めの境地、性格は変えるものではない
だから、おおらかに、鈍感に生きていけたらどんなにラクだろうと何度思ったことか。
イライラを感じるたびに「気にしない気にしない」とか、「私だって同じような言動をすることがあるじゃない」と言い聞かせ、マインドや思考回路をどうにか変えられないかと試行錯誤した時期もあります。
でも、30年以上この性格と付き合ってきて、はっきりわかったことがあります。
今さらこの性格を変えることは、きっとできない。
というか、そうやって無理に自分を変えようとすることが、また新たなストレスになるんですよね。「なんでいつまでも変われないんだろう」と自分を責めるループに入ってしまって、結局二重に苦しくなる。
だから最近は、その代わりにこういうイライラや感情を、上手く処理してコントロールすることに重きを置くようになりました。
完全にストレスを断ち切ることはどうやっても無理、でも感じたストレスとどう向き合うか、どうやって消化するかは工夫できるはず。そう考えを切り替えたら、少し心が軽くなりました。
性格は変えるものではなく、上手く付き合うもの。
やっとそう思えるようになってきました。
そもそも、この性格で「生きづらさ」を感じる場面は恐ろしくたくさんあるけど、もちろん長所になる場面もあるわけです。
細かなところまで気がつくから防げるミスがあるし、仕事が丁寧とか思慮深いと言われることもある。そうやって見てくれてる人だってちゃんといる。
そう思うとなおさら、性格を変えることに固執しても意味がないようにも思えてくるんですよね。
自分の感じ方や受け止め方を否定せず、「自分は自分」と思ってあげること。
そのうえで、生きづらいと感じる瞬間をいかに減らせるか、逆に、自分の性質に胸を張れる瞬間をどれだけ増やせるかを考えることが、結局は一番ラクな生き方に繋がると思うのです。
ストレスと付き合うには、一旦切り離す
そうしていい意味で諦めの境地に至った今、ストレスやモヤモヤと向き合うために、私が大事にしている習慣があります。
それが「書き出すこと」です。
イライラやモヤモヤって、それに振り回されているうちは何も生み出さないし、害でしかありません。でも、グッと立ち止まって一度冷静に見つめてみると、実はいろんな気づきが詰まっていることも多々あります。
ただ、頭の中だけで考えていると、どうしてもネガティブな方向に飲まれたり、同じところを堂々巡りしてしまいがち。
そんなとき、書くことの一番の効用は、自分の内側を一歩引いた目で見つめ直せることです。
「なんでそう感じたんだろう」「いつもこのパターンかも」「私にはこういう傾向があるのかも」「これが嫌だと思っていたけど、根っこは違うところにあるのかも」
そうやって自分の感情を分析しながら、文章として吐き出すだけで、ちょっと心が落ち着くんですよね。
もちろん、書き出したからといって、現状が何かすぐに解決するわけではありません。むしろ、何も解決しないことのほうが多いです。
でも、文字にして外に出すだけで、自分の中でグルグル渦巻いていた感情が、ほんのちょっとだけ他人事のように、距離を取って見られるようになる。そんな不思議な効果があるのです。
さらに、そうやって言語化した内容を、こういうエッセイや趣味で書いているnoteなどで人に見せると、思いがけず共感してもらえることもあります。
「私もそう思ってました」「まさにそれです」なんてコメントをもらうと、自分だけじゃなかったとか、誰かの気持ちを代弁できたと思えて、いつの間にかストレスも一緒に消化されていく感覚があります。
でも、いつも人様に見せられるような、よそ行きの文章に昇華できるわけではありません。
どうにも整理がつかないときや、どす黒い気持ちや汚い言葉しか浮かんでこないときもあります。
そんなときは、誰にも見せない「吐き出し用ノート」に殴り書きすることもあります。このノートは私にとって、とにかく自分の本音をストレートにぶつけられる安全地帯、シェルターのような場所です。
どす黒い感情も、乱暴な言葉も、すべてOK。ただひたすら自分の本音に耳を傾けて、吐き出すだけの時間――それが私にとっての“ご自愛”になるんですよね。
普段、細かなところまで気を遣いまくる分、何も気を遣わず「”雑”で居られる場所」をつくっておくことは、思っている以上に心を守ってくれています。
(実際、割合でいえば外に出せるエッセイが2、誰にも見せられない吐き出しノートに書くのが8くらいなので、このノートは私にとってかなり重要なストレス発散法です。)
ストレスと付き合うには、自分の「王道」を心得ておく
考えてみれば、書き出すことは昔から無意識にやっていました。学生時代の日記から始まって、何となく思ったことをメモしたり、感情をぶつけるように文字にしたり。
でも、それが自分に一番合う方法だと気づけたのは、実は最近のことなんです。
ストレス解消法といえば、SNSを見ていると本当にいろいろなアイデアが流れてきます。「運動が一番」「アロマを焚くといい」「とにかく寝るのが最強」など、どれも効果がありそうだし、たまに参考にして試してみることもあります。
けれど、誰かの“正解”がそのまま自分にも合うかというと、必ずしもそうとは限らない。
逆にいえば、私が最終的に行きついたのは「書くこと」だけど、それも皆さん全員に効くとは限りません。
いろいろと新しい方法を試すのは大切ですが、同じくらい、自分に合った「王道」のストレス対処法をきちんと知っておくことも大切です。
それが運動でも、瞑想でも、書くことでも、食べることでも、自分に合っていれば何だっていい。
だから、今日も自分なりのやり方で、心に積もった小さな石たちを一つずつ片づけていこうと思います。

ライター:プロフィール

とにかく「言語化」することを軸に、
心や頭に浮かぶ漠然とした不安やモヤモヤも「言語化」