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LiLyの自分軸「自分を客観視すると、生き方が見えてくる」

私たちを惹きつける特別な魅力を持つひとは、誰にも負けない“個性”という輝きを放っています。各界で活躍し続けている彼女や彼に、“自分らしく”を大切にする生き方についてインタビュー。そのオリジナルなスタイルの秘密を探ります。ここから3回にわたり、作家、コラムニストとして活躍するLiLyさんをフィーチャーします。

協調性がない自分を、ずっと客観視してきた

2006年『おとこのつうしんぼ』で鮮烈な作家デビューを果たしたのち、恋愛をテーマにさまざまな作品を発表してきたLiLyさん。実体験に基づいたリアルで切実な描写は、恋する人々の心を鷲づかみにしてきました。人間模様を愛し、それを執筆に落とし込む作業も深く愛するーーそんな彼女はどのように今のスタイルに辿り着いたのでしょうか。

―10歳からニューヨークで暮らしたのち、中学時代は日本で過ごし、またフロリダへと留学されていますね。

「とにかく集団行動が苦手でした。でも周囲に馴染めないというより、学級委員に立候補するような、“センター”を張る存在ではあったんです。ただ、言いたいことは言わないと気が済まない。そういう意味でまったく協調性のない子供でした。

日本では私立の中高一貫校に通いましたが、『勉学に差し障るからヘアゴムは黒か紺。それって意味がわかりません。私を納得させてくれたら従います』と職員室に乗り込んだことも。とにかく大人と上手に人間関係を結べない厄介な子供だったんです。

あるとき正直な先生が『生徒を地味に仕上げておかないと、父兄からのイメージが下がり、受験者が減り、経営が回らなくなる』と教えてくださいました。学校側の言い分は理解したものの、だからといって私の青春時代を私立校のビジネスとトレードするわけにはいかないですよね。当時、学校の先生とも親とも上手くいっていなかったので、勝手に決めたんです。『私は海外に逃げよう』と(笑)。NYへの片道チケット代をバイトで稼いで家出しようと計画したんです。秘密で、近所のコンビニでバイトを始め、でも近所なのですぐにバレて(笑)わりと大事件になったのですが、そこまで海外に行きたいのなら、と親が最終的には留学を認めてくれました」

―子供の時代から『前向きに逃げる』ことで、自分の居場所を確立してきたのですね。その思考はどうやって培われたのでしょうか。

「小さな頃から『自分を客観視する』ことをすごく意識してきました。あれは忘れもしない小学4年生のとき。母親と大げんかをしてすごく傷ついて、でもそれを『主観で受け止める』と自分が壊れてしまうと思って。そこで『客観に飛ぶ』ことを本能的に覚えたんです。

以来、自分のことを観察する癖がついて、さらに自分のマインドが“大人”に切り替わる瞬間はいつなのか、注意深く内面を見守るようになりました。私の言う“大人”への切り替わりとは『客観性の精度の高さ』のようなもの。15歳になったある日、ふと自分を俯瞰して眺める視点が確立された瞬間があって、『ようやくこのレベルまで来た!』と感じたことをよく覚えています」

― 早く大人になりたかったのですね。

「幼少期から、成熟した大人に憧れる“心”と、まだまだ未熟な自分の“体”と、その異常なまでの不一致に違和感を覚えていました。何せ、うちの母親が3歳の定期検診手帳に心配なこととして『早熟』と書いていたぐらい(笑)。中学時代まではとにかく生きづらく、高校、そして大学時代から、ようやく深く息を吸えるようになった気がします」

自分らしく生きるために、自分で稼ぐ

― 大学時代からライターとして「書いて稼ぐ」スタイルをスタートさせます。

「日本の一般企業に勤めるのは向いていないと思ったので、フリーランスでしっかり食べていくために、大学時代から月収の目標金額を決めて、そこまで稼ぐことを自分に課していました。

プロフィールだけ見るとお嬢様だと誤解されることも多いのですが、うちはそんなに裕福ではなくて。留学も、一番コストのかからない交換留学制度でフロリダの現地校に行き、ラストの一年はそこでできた友達の家に住まわせてもらいながら高校を卒業したんですね。大学時代の一人暮らしも『親からの仕送りはいらない』と言って飛び出した形です。

家賃6万5千円の部屋に住んで、授業に週5日出席しながら、5つのバイトを掛け持ち。ミュージシャン志望の男の子に英語のリリックの書き方を教えたり、外国人の彼女をもつ男性の手紙を代筆したり、訳したり。隙間時間はすべて働いて、めちゃくちゃ稼いでましたね」

― そこまでLiLyさんを奮い立たせたものは何だったのでしょう。

「私にとって何より大切なのは、『自由に生きること』。親にお金を出してもらうのであれば親の言うことを、彼に出してもらうのであれば彼の言うことを聞かないといけない。でも協調性がなく、だけど変に律儀で真面目なところがある私は、誰かに経済的に頼ることで行動を縛られることが苦痛なんです。『自分らしく自由に生きるために稼ぐ』ってカッコ良く聞こえるかもしれないけれど、私にとっては死活問題だったんです」

― そして2006年に作家デビュー。恋する女性の代弁者として一世を風靡します。

「私自身、マドンナやビヨンセのカッコいいビジュアルが飾られているCDショップは気分が上がるけど、地味な装丁の真面目そうな本がずらりと並ぶ本屋はどうしてもワクワクしなくて、本は違う惑星に住むひとのもの、と思い込んでいたギャル時代がありました。だから、当時の自分のような若い女の子たちに向けて、『このひとの書くものだったら、読んでもいいかな』と思えるポップな佇まいの小説を提供するのはどうだろうと。そこには私の椅子があるな、と二十歳のときに考えたんです」

― そこでもやはり自分を客観的に見ていたんですね。

「同じ20代の目線で恋愛をリアルに描けるのはあと数年しかない。25歳のデビューでも遅すぎるぐらいで、とにかく早く書きたい、とにかくもっと書かなきゃと、自分を客観視しているからこそ、猛烈に焦っていた時期でした」

自分らしさも求める幸せも、ライフステージで変化していい

― そして人気絶頂期に、結婚、妊娠、出産。妻、母、ひとりの女性として、どうバランスを取っていたのでしょうか。

「怒涛の日々がスタートして、まるでトライアスロンのようでした。さらに驚くことに、陣痛の合間も女としての色香を自覚していたのに、息子が生まれたその瞬間、自分のなかに“お母さん”という別人格が現れて。そこからは女と母を両立することができなくなったんです。とにかく育児に目が向いているから、外見を美しく保つことに興味がもてない。あ、私のなかの女が死んだ!って思った(笑)。でもそれでいいと思った。むしろそんな新しい自分を気に入ったんです。

それが、二人目を生んで数年経ったら、今度は勝手に女の自分も戻ってきたんです。一人の人間のなかに母と女が共存する時期に入りました。そしたら産後戻らなかった+5キロも一瞬で落ちて、美容にも興味が出てきたんです。カメレオンのように変化する自分を発見したときに感じたことは、何か悟りのようものでもありました。

人はマインドセットにあった体でいるのがいちばん過ごしやすいんですよね。若々しくてきれいな方がベターだと思われがちですが、『今はお母さんとして生きる』と決めたなら、産後太りもおばさん体型も悪いことではないかもしれない。むしろそれが今の暮らしにフィットしていて、家族の幸せを守ってくれることもある。あと、意外とそういうのって自分で選べるようで選べなかったりもするんです。生まれ持ったマインドの性質というものでもある。正解はないし、それぞれがなるようになる。なんだか人間って上手くできているな、と考えるようになりました」

― 自分らしさはライフステージで変化していい、ということですね。

「人生いろいろあるけれど、だからこそ、その時々に味わえることを味わい尽くせばいい。恋愛したい、育児したい、仕事したい、きれいでいたい・・・それらすべてが同時に手に入ったとして、それって本当に幸せでしょうか。1日は24時間しかないから、全部同時、は忙殺されてしんどいと思うし無理だと思う(笑)。手に入れたいものはたくさんあっていい、でも同時期でなくていい、人生の季節ごとに手に入れればいい、というのが私の考え。人生そのものが長くなりつつある今、自分らしさも求める幸せも変化するのは当然だし、それでこそ充実するのだと考えています」

 

「とにかく早く大人になりたくて、人生を生き急いできた」。これまでをそう振り返るLiLyさん。手に入れたいものを貪欲に追い求めてきたからこそ確立された“LiLy’s Philosophy”は、彼女の小説同様、やはり私たちの感性を心地よく刺激してくれます。さて怒涛の30代を経て、40代を迎えた今、何を考え、どう生きることを決意しているのか。vol.2でたっぷりと伺います。


Profile
LiLy(りりぃ)
作家。1981年神奈川県生まれ。NY、フロリダでの海外生活後、上智大学卒業。音楽ライターを経て、2006年デビュー。恋愛エッセイ『おとこのつうしんぼ』でデビュー。小説『別ればなし』(幻冬舎)、エッセイ『オトナの保健室』(宝島社)など著書多数。現在は、雑誌『オトナミューズ』『VERY』『美的GRAND』にて連載。「フリースタイルティーチャー」(テレビ朝日)に出演中。最新刊は『BAD SEX』(幻冬舎)。
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