親しい友人関係における「開かれた、思いやりのある衝突」のすすめ
人生の大半を通して、私は「健康的な関係」とは「衝突がないこと」だと思っていました。
「私たち、一度もケンカしたことないんだよね」なんて、恋人や親しい友人について語るとき、その言葉を「良い関係」の言い換えとして使っていたのです。
でも当時の私は気づいていませんでした。自分の人生に衝突が少なかったのは、偶然なんかじゃなく、私がものすごく一生懸命に、衝突を避けようと努力していたからだということに。
母は私が小さい頃から、「あなたのことは心配していない」とよく言っていました。
「あなたは、どこに植えられてもちゃんと花を咲かせるタイプだから」
私はその言葉が気に入って、それを自分の信条のように受け入れてきました。
柔軟性がある、立ち直る力がある、適応力がある——周囲の人たちは私のことをそう褒めてくれました。私は折り合いをつけられる人間だったし、協調的だったし、本当に“問題解決型”の人間だと思っていました。
でもこういう性質を自分の価値の一部と信じ込んでいたからこそ、それを維持することが実は簡単ではなかったことに気づけませんでした。そして、それには必ずしも“代償がなかった”わけではなかったのです。
何度も(何度も、何度も!)、私は小さな違和感やモヤモヤを見て見ぬふりしてやり過ごすことを選んできました。だって、それに向き合うなんて「サバサバしていない」し、「細かい」とか「面倒な人」って思われるかもしれないから。
たとえば、本当はサラダが食べたかったのに空気を読んでピザに賛成したり(雰囲気壊したくないし!)、誰かの嫌味や傷つく一言を「そんなつもりで言ったわけじゃないよね」と笑って受け流したり。私はいつの間にか、自分の本当の気持ちを飲み込むクセを身につけていました。口に出すより、我慢してやり過ごした方が楽。そう思い込んでいたのです。
「大丈夫。私なら平気」
「これくらいなら我慢できる」
これらが私の口癖で、イヤな気持ちを自分の中で処理して、心地よいことに意識を向けて、自分は“感じのいい人”であり続ける。それが、自分の価値だと信じていたのです。
でも、うまくいかないときもあるんです。
何度目かの「食べたくない重めの食事」や、「傷つくけど大したことじゃない“冗談”」を我慢した後、私は見えないところで少しずつ苛立ちを募らせていきます。気づけば、頭の中でそのときの場面を繰り返し再生しながら、心の中で怒りが燃え始めているのです。
「これが初めてじゃない」
私はそう思いながら、今まで受けてきた失礼な言動や、軽視された出来事のリストを思い出し始めます。私にも、人に優しくしていられる限度がある。そしてその一線を越えると、私は無言の戦闘モードに突入するのです。
ランニング中、シャワー中、通勤中。
私は空想の中で相手を叱りながらひとりで言い返す。
目は前を見据え、心臓はドキドキと鳴り響き、完璧な「正義の正論パンチ」を作り上げては、相手の心をズタズタにする想像をしているのです。
「あなたは、最初から私のことも、他の誰のことも尊重なんてしてこなかった」
「私はもう、あなたの自分への“リスペクト”のために戦いたくないの」
一度この思考に入ってしまうと、その関係はもう元には戻れなくなっていました。そして私の中では、2つのどちらかの結末に向かうしかないと感じていたのです。
ひとつは、その衝突が現実の世界で表に出てくること。もうひとつは、その人との関係が完全に終わること。
でも、たとえ何が起ころうと、私にとっては、「不快な会話をすること」よりはマシに思えました。
だって、「あなたの言葉に傷ついた」とか「私はそうは思わない」と伝えることには、とても大きなリスクがあるように感じていたからです。
もし相手が逆ギレしたら?
軽くあしらわれたら?
「あなたって繊細すぎるよ」と言われたら?
「めんどくさい人だな」と思われて、離れていかれたら?
私が思っているほど、私は柔軟でも協調的でもないとバレてしまったら——そのとき、自分にはもう親しい人間関係なんて残らないんじゃないかと思っていたのです。
衝突?それとも戦い?
今では(そして読んでくれているあなたもきっと)、「私は恐れに支配されていた」とはっきり分かります。でも、セラピストに「初めて衝突を怖いと感じたのはいつですか?」と聞かれたとき、私は驚きました。
私が戸惑っているのを見て、彼女は言い方を変えました。
「衝突が怖くなかった頃を覚えていますか?」
私はさらに混乱し、思わず笑ってしまいました。
「衝突が平気な人なんて、いるんですか?」
彼女は何も言わず、私が自分で答えるのを待ちながら、意味深な微笑みを浮かべました。
でも考えてみると、その問いは私には当てはまらないものでした。
「私はあまり人とケンカしないんです」と言ったとき、私は彼女が褒めてくれるだろうと思っていました。
でも、そうはなりませんでした。
「ご家族とは?」と彼女が尋ねました。「ご両親や兄弟とは?」
子どもの頃、兄と姉とは普通の兄弟喧嘩をしていました。けれど、今はみんな別の場所に住んでいて、特別仲が良いわけでもありません。
お互いあまり連絡を取らず、なんとなくの不満がくすぶっているような距離感。けれど、それが“兄弟ってもの”でしょ?
イライラすることがあっても、わざわざ言い争うほどのことじゃないし。
両親ともケンカしたことはありません。でも、私はもう10年以上も両親の近くで暮らしていません。
思春期の頃、両親はよく口喧嘩をしていて、私もその議論に加わることがよくありました。あの頃特有の情熱と反抗心を抱えて。でも、それって普通のことじゃない?
すると、セラピストがこう言いました。
「あなた、“ケンカ”って言葉をよく使いますね。あなたにとって“衝突”って、“戦い”だと思っていますか?」
……たしかに。
戦いじゃなかったら、それは衝突と呼べるの?
私はその問いを口に出す前に、心のどこかで気づいていました。人と対立する感情や緊張、不快感を「戦い」にしなくても処理する方法があるということに。でも、私はそれを経験したことがなかったのです。
誰かが自分と違う意見を持っていると感じたとき、私は無意識に“先回り”して、それを避けるために自分の意見を控えめにしたり、もっと好かれるように振る舞ったりしていました。
そして、もしその引き出しがもう空っぽになっていて、いつものように柔らかく対応する余裕がなくなっていたら、私は防衛モードに入り、その人との距離を取ることで自分を守ろうとしていました。
そのとき、相手が傷つくかどうかなんて、正直どうでもよかった。
私の中では、もうとっくに“戦い”は始まっていて、
「この関係は“有害”だ」と思い込むことで、離れることを正当化していたのです。
だって、もうたくさん傷ついてきたんだから。
それは——相手のせい。でしょ?
話しながら、自分が言っていることが……あまり良く聞こえないな、とは思っていました。
でも、まさか私が「ただ怖いから」という理由だけで、ちゃんとした関係を壊してきたなんてこと、ある?
これまでの親しい友人たちとの関係を思い返して、私たちがどうやって摩擦を乗り越えてきたかをひとつずつ振り返ってみました。
私の人間関係は、たいていある環境の中で強く、濃く燃え上がるタイプです(学校とか職場とか)。でも、人生の変化とともに自然と離れていったり、逆に長く穏やかに続く炎として残ったりするパターンもあります。
私は、まず軽い話題で距離感を測ったり、少しずつ相手を探ったりはしないタイプ。最初からガツンと深いところに飛び込むタイプで、それを面白がってくれる人が、私の「仲間」です。
大学時代のルームメイトには、「あなたがパーティーを本当に楽しんでる時って、隅っこの席で初対面の人とずーっと話し込んでるときだよね」と言われたことがあります。
ちなみにそのルームメイトとは今でも友達です。しかも、私たちは一度ケンカしています。……めちゃくちゃ激しいやつ。
大声で叫び合う、本気の大ゲンカ。
その前には、ほぼ1学期にわたって続いた「無言の緊張感」がありました。冷蔵庫の中の物の位置をいちいち変えたり、目を合わせないことでお互いの不満を表現するっていう……。
……まあ、それはいい例じゃないかもですね(笑)。
「質問!」
私は30年来の親友にショートメッセージをしました。
「私たちって、今までにケンカしたことある?」
「多分あるけど、“怒ってた”っていうよりは、“すれ違い”だったんじゃない?」と彼女。
確かに、3つくらい「ちょっと気まずかったかも」というエピソードが思い出せるけど、そのうち明確に言葉にして向き合ったのは1つだけ(しかもそれ、メールで……たぶん、ちゃんと話し合ってすらいない)。
以前の私だったら、それを「良い関係の証」と思っていました。
常に同意し合えて、争いのない関係こそ平和。それが理想!って。
でも——
本当に「平和」とは、一方が心の中で静かに戦っている状態のことを言うの?
誰かの“本音”が犠牲になって成り立っている平和に、意味はあるの?
40歳に近づいてきた今、私はようやく見方が変わってきました。
自分が傷ついたり、居心地の悪さを感じたときにそれを隠していたり、相手がそうしているサインを見過ごしていたら、それは関係の中で“誠実でないこと”をしているのと同じ。
それは、ただ自分の「心の平和」を失うだけでなく、関係そのものを損なっているのです。
私は、表面的なつながりには興味がありません。
それなのに、こんなふうに自分の大切な人間関係の「成長」を、無意識のうちに妨げていたのだとしたら、とてもショックです。
だって、私の中で「成長」と「真実」は、一番大事な価値観だから。
「ねぇ、私たち、“健全な衝突”の練習、必要じゃない?」
そう親友にショートメッセージを送ってみました。
数分間、返事がこなくて、私は思わず笑ってしまいました。
「え、ちょっと待って、これでストレス感じてる? すごく感じるんだけど、あなたが今ストレス感じてるの(笑)」
「ははは、感じてるよ!今まさに“衝突”中じゃん!!」
