アニミズムとはどんな意味か簡単に説明|日本における例とは
日本には古くから神や仏を信仰する文化が根付いており、無意識のうちに神仏へ祈りを捧げたり、季節ごとの行事に参加したりしている方も多いのではないでしょうか。
神仏はそれほど私たちの身近にある存在ですが、これらは決して日本だけでなく、世界各国で様々な神仏が信仰されています。
今回はこういった特別な神仏以外に、私たち人間や動物・植物などの全てに宿る霊魂を信じる考え方「アニミズム」についてご紹介します。
詳しい意味を探ると共に、日本におけるアニミズムの在り方についても見ていきましょう。
Contents
アニミズムとはどんな意味?簡単に説明
アニミズムとは、私たち人間や犬・猫などの動物、植物などの全てには霊魂(アニマ)が宿っているとする考え方のことです。
アニマが宿るのは生き物だけでなく、家や車・土地・おもちゃなど身近にあるもの全てが対象とされています。
アニマが宿ることによってこれらの無生物には心が宿り、時には所有者に向けて、またある時にはその場所そのものに影響を与えてきました。
私たち人間も、幼い頃に「おもちゃを大切にしないとおもちゃが悲しんでしまうよ」「物を投げたり壊したりするとバチが当たるよ」などと言われた経験があるのではないでしょうか。
これらは無意識で出たものだとはいえ立派なアニミズムの一種であり、私たちの心に深く根付いているといえます。
生き物はもちろん無生物にもアニマが宿ると考えるからこそ、私たち人間はむやみに物を破壊したり、無駄にしたりせず生きることができます。
「宗教の一種」として敬遠するのではなく、アニミズムの考えが世界中の様々な宗教に影響を与える存在であり、いわば私たちが正しく生きるための道標となることを覚えておきましょう。
アニミズムは日本にいつからある?神道との関係性とは
アニミズムの考え方は近年生まれたものではなく、古くから日本に根付いてきたものです。
その始まりを辿り、日本に伝わってきたルーツを知ることで、アニミズムを正しく理解できるでしょう。
19世紀にイギリスの文化人類学者によって提唱
「アニミズム」という言葉が誕生したのは、19世紀のイギリスだったといわれています。
文化人類学者として活動していたエドワード・B・タイラー氏が、世界各国で信仰されている宗教に通じるものとして提唱したのがアニミズムです。
この宇宙に存在する全てのものにはアニマが宿り、その結果私たちが自然の力を借りて生きられているとの考え方は、現在の社会においても大きな軸となっていることは間違いありません。
それぞれの物にはアニマが宿っており、相互に干渉はできなくても、それぞれの役割を全うしながら生きています。
寿命や生き方に違いはあれど、私たちはみな宇宙に生きる一つの生命であり、種類によって脅かされるべきではありません。
アニミズムの考えは物体そのものにアニマが宿るとされるため、私たち人間が死んだ後も、アニマそのものは体に残ると思われてきました。
そのため、土葬にする際は個人を偲ぶものを入れたり、「屈葬」と呼ばれる特殊な姿勢で魂が抜けるのを防いだりといった文化も生まれています。
日本では古代から神道に似た概念が存在
日本の宗教として特徴的なのは、キリスト教におけるイエス・キリスト、イスラム教におけるアッラーなどといった信仰の対象が限定されない「神道」ではないでしょうか。
神道は多神教であり、自然や土地など様々なものに神が宿ると考えるもの。
太陽には太陽の神が、風には風の神がいると考えられ、災害が起こると神の怒りを鎮めるための儀式が行われていました。
この考え方は古代から日本に浸透しており、その始まりは縄文時代に遡るといわれています。
その後こういった考えが正式に「神道」と呼ばれるまでには時間がかかりましたが、現代に至るまで大きく形を変えることなく語り継がれてきたのです。
関連記事:「本当の自分」が分からない?迷ったときに思い出したい考え方
日本におけるアニミズムの例
これまでご紹介したように、日本には様々な形でアニミズムの考え方が浸透しています。
さらにアニミズムを分かりやすくイメージするために、実際の例について見てみましょう。
八百万の神
日本の神道は種類が豊富なことでも知られており、身の回りに神のいないものはないといっても過言ではないほどです。
これらは総称で「八百万の神」と呼ばれており、どんなものにも神様が宿っているため、大切にしようといった考え方に繋がっています。
字で見ると「八百万」と書きますが、実際にピッタリ800万人の神様がいるわけではありません。八百万(やおよろず)とは、すなわち「数えきれないほどたくさん」という意味。
元々太陽や風などの自然現象を司るという神もいれば、長年大切に扱ってきた物に神が宿り、「付喪神」と呼ばれるようになったものまで様々な種類が該当します。
かつての日本は幾度となく飢饉に苦しめられ、多くの民が命を落としました。
「お米一粒にも神様が宿っている」ともいわれるように、食べ物を無駄にすることなく大切にいただくことも、アニミズムの考えに倣っているといえます。
お盆の送り火と迎え火
日本ではお盆になると亡くなった方の魂が帰ってくると信じられており、自宅に帰る先祖のために精霊馬を作ったり、お供え物をしたりしてお迎えします。
このとき先祖の魂が現世へ迷わずに帰ってこられるようにとの願いを込めて「迎え火」を、反対に帰るときも迷わずに行けるようにと「送り火」を焚くという伝統文化があります。
これもまた本質を紐解けば、既に亡くなっておりこの世に存在しないはずの先祖でも、魂だけは残っていていつまでも見守ってくれているといったアニミズムの考えに通じるものがあるでしょう。
古くからの慣習にも思える迎え火や送り火ですが、意外にもお盆の行事として広まったのは江戸時代頃だといわれています。
いつの時代も家族や友人など大切な人が亡くなったとき、その人の全てが失われてしまうとは考えたくないものです。
魂がいつまでも残っており、お盆のタイミングで帰ってきてくれると考えることで、親しい人の死を乗り越えてきたのではないでしょうか。
アイヌ民族の信仰
現代においても北海道の一部を中心に生活し、「アイヌ語」を使ってコミュニケーションをとるアイヌ民族。
数が減ってしまったとはいえ歴史ある民族の一つであり、日本語を話す人々とは異なる文化も多数築いてきました。
そんなアイヌ民族の間で信仰されている考えの一つに「精神文化」というものがあります。
これは八百万の神と同じく、身の回りにある全てのものに神が宿っているといった考え方です。
狩猟対象である動物や生活に使う道具・自然現象・人の病気に至るまで全てが神(カムイ)の意思で生まれたものであり、これらに尊敬の念を込めることで、これまで共存・繁栄をしてきました。
折り紙の鶴
親しい人が病気や怪我で入院したり、誰かの成功を祈ったりする際に、千羽鶴を作った経験のある方も多いのではないでしょうか。
折り紙の鶴が千羽集まることはもちろん、人々の祈りと願いが込められた鶴を使うことで、贈られた人の不幸を癒すとされています。
千羽鶴の始まりは、長年生きることでも知られる「鶴」が、神にとって良いものだと考えられていたためです。
絵馬やお守りなどに鶴の絵が描いてある神社も珍しくないでしょう。
神に願いを聞いてもらい、そのお礼として鶴の入った絵や折り紙などを奉納することが、今でいう千羽鶴に繋がったといわれています。
御神木や神聖視される岩など
日本には今でも至るところに「パワースポット」があり、旅行のついでに巡ってみた経験のある方も多いはずです。
その中でも古くから神が宿るといわれてきた御神木や御神岩などは、神社を参拝する際に訪れたいスポットとして紹介されているケースも珍しくありません。
こういった古くから信仰されてきたものには人々の思いが込められているため、神の力も強く、信仰には大きな意味があるといわれています。
何も知らない人から見ればただの木や岩であっても、そこに神が宿っていると考えれば途端に神聖なものに見えてくるでしょう。
始まりは「ひときわ大きかったから」「〇〇に形が似ていたから」といった理由でも、それが長年人々の心を繋ぎ、神がいると信じられてきたことが大切なのです。
アニミズムと汎神論の違いとは?
アニミズムと混同されやすい考え方の一つに、「汎神論」があります。
これは「この世における全てのものは神が作った」という考え方であり、神はこの社会そのもの、宇宙そのものであると捉えられます。
一つひとつの物に神が宿るのではなく、物も、人も、自然も全てが絶対神によって作られたものであり、その恩恵に感謝して生きていかなければなりません。
そして汎神論における神とは人の形をしておらず、いわば神という一種の概念でしかありません。
神があらゆるところに存在するといった点ではアニミズムと似ていますが、そもそも神は宿るものではなく、万物こそが神であるといった考え方が汎神論です。
まとめ
「アニミズム」というと耳なじみのない方も多いですが、その考え方自体は古くから私たちの中に強く根付いています。
今後も「宗教だから」と避けるのではなく、万物に神が宿るといった考えから、物や命を大切にすることを心掛けてみてはいかがでしょうか。