Humming編集部 條川純のコラムをお届けします。
誰もが必ず経験する「死」。私たちは、大切な人を失う痛みを味わい、いつかは自分自身もこの世を去ります。
死ぬことは怖いというイメージがありますが、本当に死は恐れるべきことなのでしょうか。
最近知った友人の病気や、過去に大切な家族を癌で亡くした経験、そしてテレビやネットで耳にする著名人の訃報など、身近な出来事をきっかけに、私は死について考え続けてきました。そんな中で培ってきた私の死生観について話してみたいと思います。
恐れるのは「後悔」を残して死を迎えること
40歳を目前に、この先の人生を考えると共に、死を意識するようになりました。そして気がついたのは、私は死ぬことよりも、後悔を恐れているということです。
後悔のない人生を歩むためにも、私は他人を尊重し、思いやりを持って接することを大切にしたいと改めて感じています。そうすることが、自分自身の幸福につながると確信しているからです。
また、他人からの評価にとらわれるのではなく、自分自身に集中したいと思っています。
例えば、スマートフォンやソーシャルメディアに依存する生活を送っていると、他者と自分を比較してしまったり、「いいね」の数が気になったり、本当に大切なことを見落としがちです。
どんな情報でも簡単に手に入り、遠く離れた人ともオンラインでコミュニケーションが取れる便利な時代。だからこそ、大切な人に直接会ったり、旅に出て新しい経験をしたり、リアルな交流や体験を大切にしたい。直接的な人とのつながりや、五感を通して得られる生の経験には、かけがえのない価値があるはずです。
人生は一度きり。後悔のない人生を歩むために、自分と向き合い、今この瞬間を大切に生きていきたいです。
大切なひとの死を乗り越えるために
生きている間には、大切な人とのお別れを経験することがあるでしょう。私たちは、愛する人を失った時、計り知れない悲しみと喪失感に襲われます。
以前、親しい友人が親を亡くした時のことを思い出します。彼は耐え難い悲しみに襲われ、その対処法を見出すことができずに、自分自身を傷つけてしまったのです。悲しみの渦から抜け出せない彼を見て、私は死を乗り越える方法について考えさせられました。
現代社会では、家族が亡くなった後、残された親族はすぐに書類作業や法的手続き、請求書の支払いに追われ、死を受け入れる余裕がないことが多いように感じます。
大切な人を失った時には、思い出の場所を訪れたり、写真を眺めたり、故人を偲ぶ時間を持つことが大切です。また、「故人は最後に何を伝えたかったのだろう」と考えたり、「今の自分の生き方を故人が見たらどう思うだろう」と自らを振り返る内省の時間も必要でしょう。心の傷は簡単には癒えないものです。適切なケアを怠ると、その傷は長い間心の奥底に残り続け、私たちを苦しめる可能性があります。
悲しみに寄り添い、故人との思い出を大切にしながら、徐々に新しい日常を築いていくことが、大切な人の死を乗り越えるための健全なプロセスなのかもしれません。
避けては通れない「死」という現実
死は人生の一部であり、恐れるべきことではありません。むしろ、死を受け入れることで、今この瞬間を大切に過ごすことができるでしょう。
大切な人を失ったとき、或いは自分自身の死に直面したとき、悲しみや喪失感にとらわれるのは自然なことです。しかし、そこにとどまるのではなく、亡くなった人との思い出や、自分がこれまで歩んできた人生の旅路を振り返り、感謝の意を込めることが大切なのではないでしょうか。
ライター:プロフィール
インタビュー:條川純 (じょうかわじゅん)
日米両国で育った條川純は、インタビューでも独特の視点を披露する。彼女のモットーは、ハミングを通して、自分自身と他者への優しさと共感を広めること。