
理解はできても飲み込めないアファメーション
“Fake it till you make it”――上手くいくまで上手くいってるふりをしろ。
英語にはこういう言葉があるそうです。
最近は日本でも、似たような趣旨の話をよく聞くようになった気がします。
アファメーションという言葉で説明されるようなことでしょうか。
例えば、
「あの人みたいになりたい」ではなく、「私はもうあの人みたいになっている」
「こういう生活をしたい」ではなく、「私はこういう生活をしている」
といったように「既にそうなっている」という表現で何度も何度も言い聞かせることで、脳がそれを事実と認識して、本当にそうなるよう行動がプログラミングされてく的な。
同じ主旨の話で、ちょうど先日SNSで見つけた投稿があります。
それは「なりたい」と思っている限り、脳はその「なりたい」という”前提の状態”を保とうとするということ。
…なんだか、一瞬「とんちですか?」って聞き返したくなるような気持ちになりますよね。
どういうことかというと、なりたい自分を「追いかけている状態」をキープしようとしてしまうらしいんです。
なりたい自分に近づく行動ではなく、それを目指している人らしい行動をとるようにプログラムされる。
だって、なりたい自分を実現してしまったら、追いかけられなくなってしまうから。
これらは意思の問題でもなければ、”引き寄せ”みたいな掴みどころのない話とも少し違って、どうやらもう「脳の仕組み」としてそうなっているそうです。
そんな脳科学的に言われると「はーん、なるほどね、だからいつまで経ってもなりたい自分になれないのか~…」と、しぶしぶ腑に落とすしかありません。
無意識に”逆”アファメーションばかりしていた
しぶしぶとはいえ、本当にちゃんと理解はしているんです。
しかも、実体験を伴って。
ただ、私の場合は、残念なことに逆のパターンで起動させているというだけ!(ドヤァ
例えば「なんで私っていつもこうなんだろう…」「気疲ればかりして損だよな」と、暇があれば自分の粗を探して、自分を落としまくっている。
つまり「なりたくない自分」ばかり思い描いて、それをご丁寧に脳みそに刷り込んでいるわけです。
傍から見たら、というか、自分でも精神が安定していて客観的になれるときは、そんなにダメなヤツではないし、むしろ普通によくやってるなと思うこともあります。(年に数回だけど)
だけど、それに気づけたとて「なのに、なんでこんなにも自己卑下しちゃうんだろう…」と、また別の視点から自分を責めるわけです。
これもまた、自己卑下する自分でいなきゃと、脳に前提の状態を保たせていることになりますよね。
自己卑下するにふさわしい私でいなきゃいけないので、自分には粗があることが前提で生きてしまうし、こじつけでもいいから粗ばかり探すようになる。
なんという、粗探しの天才。
そりゃあ、自己肯定感なんて育めるわけがありません。
だからこそ、アファメーションが有効だとか、脳の仕組みを逆手にとるんだって話は身をもって理解している。
ただ、それを上手く活用ができない。
逆張りアファメーションに慣れすぎて、順張りアファメーションが上手くできない。
ネガティブな自分は前述の通り、すぐに何万通りでも想像できるけど、理想を叶えているポジティブな自分は、どうもうまく想像できないわけです。
まあ、よく考えたらそれは至極当たり前の話。
30年以上の年月をかけて、めちゃくちゃ強固な負の思考回路を構築してきたので、ちょっとやそっとで変わるものではありませんよね。

理論以上に大切なのは自分に合う方法に出会えるか
どうしたらいいのか、何から手を付けていいのか分からず、八方塞がりになったので、このテーマをエッセイにもらったのも何かのきっかけと思い、最近、こんな本を読みはじめてみています。
『あなたはあなたが使っている言葉でできている』ゲイリー・ジョン・ビショップ (著)
まださわりしか読めていないのもあってか、正直に言うと「…うーん、結局気持ちってこと?」と思ってしまう節が多々あります。
ただ1つ印象的だったのは「あなたはもうすでに人生に勝っている」というフレーズ。
著者曰く、これは別に気休めでも励ましでもなく、本当に文字通り勝っているんだ、それどころか既に勝ちグセがついているんだと。
「…… は?」って感じですよね笑
私も最初は、まったく意味が分からず思考停止しました。
私の解釈を交えながらざっくり説明すると、人生で起きるものごとは全て、自分が想像した通りに動いている、だから全勝ということらしいのです。
でも、到底そうは思えませんよね。
現に、なんで私はいつもこうなんだろうと日々ふさぎ込んでいるんですから。
どこが勝ち組なのかって話です。
でも、続く説明を読んで納得しました。
ここで言う勝ちの定義は、想定通りになるというだけで、その”想定通り”が全て良いことかどうかはまた別の話なんだそう。
例えば「私はいつも上手くできない」「良い相手に出会えない」「お金が溜まらない」と思うとします。
そう思っている限り、その言葉通りになる、良くも悪くもちゃんと全て想像した通りになる、勝っているとはそういう意味ということなのです。
だから、どう勝ちたいかを正しく設定しないと、勝ちグセをちゃんと自分の目標に向けないといけないということ。
この考え方が、なんだか妙に個人的に腑に落ちたんですよね。
素直に「あーたしかに、じゃあやってみようかな」と思えたんです。
実際、ここ数日、気持ちがネガティブに寄りはじめたり、つい怠けそうになった途端、「おっと?そっちの勝ちでいいのか?」と、早速立ち止まる癖がつきはじめています。
今までアファメーションを咀嚼できなかったのが嘘みたい。
もちろん、アファメーションそのものの理屈が理解できるか、腑に落ちるかは大前提なんですが、こんな風に自分に合う方法や考え方を見つけるのも同じくらい大事だなと思うんです。
思考のように目に見えないものにアプローチしたいときは、特に。
勝ちグセの話だって、人によっては全く腑に落ちなかったり、それこそ気持ちの問題じゃないかと思うでしょう。
だから、どの方法、考え方が優れているかではなく、自分にとって優れた方法、スッと入ってくる考え方に、いかに早く出会えるか。
意外とここを柔軟にできなくて「これも続かなかった…私ってダメだ…」と自己嫌悪を重ねてしまうケースって、結構多いのではないでしょうか?
その方法が、続かなくてもいい。
続かなかったら、続くまで別の方法を探し求めればいい。
いくつか組み合わせてオリジナルメソッドを編み出したっていいんですから。
ちなみに、私の場合は、この勝ちグセの話のほかにも、Mind Movieと呼ばれるものも自分に合う気がしています。
Mind Movieとは理想の未来、セルフイメージを動画にして繰り返し見る習慣なのですが、おそらく私が視覚優位派なタイプなので、しっくりくるんだと思います。
この兆候は学生の頃からあって、教科書を何度声に出して読み上げても、その音や内容は1ミリも記憶に残らない。
でもその代わりに、目で追っていた文字や挿絵の配置とかは、意識しなくてもいつの間にか覚えられるんです。
右側の2つめの段落くらいに書いてあったとか、あのページの次くらいにあったはずとか。
そう思うと、毎朝鏡の前の自分に向かって言い聞かせるような、よく聞くアファメーション方法が効かない、続かないのも納得です。
だって何度話しかけようが、記憶に刷り込まれるのは前向きな言葉ではなく、鏡に映った自分の顔だけなんですもん。(そういえば、むくみとかちょっとした顔の変化には気づけるようになったかも…)
こんな風に少しずつ自分の特性にも気づきながら、アファメーションを取り入れられるようになると、歯車がかみ合ったように急速に変化が起きるのではないかなという気がしてきます。

なりたい自分を”なりたいのまま”にしないために
一度きりの短い人生なんですから、せっかくならなりたい自分をずっと追いかける状態から、ちゃんとそこに到達できるようになりたいですよね。
他人にとって都合のいい私でいたくないし、自分で人生を生きてる感を実感したい、ちゃんと良い方向に全勝したい。
そのためにはこの”たい”を外さなくちゃいけない、というのがアファメーションなのかもしれませんが…まあ急にはできないので。
こうやっていろいろ試す過程も楽しみながら、地道に自分改革を遂行していきたいなと思います。

ライター:プロフィール

とにかく「言語化」することを軸に、
心や頭に浮かぶ漠然とした不安やモヤモヤも「言語化」