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運動嫌いの私が「運動はメンタルにいい」を少しずつ信じはじめた話

Written by
花野みずき (はなの みずき)

 

突然ですが、皆さんは体を動かすことは好きですか?

 

“適度な運動習慣”、ついてますか?

 

運動はしたほうがいい、それはおそらく誰もが同意することでしょう。

 

運動したほうがいいなんて、百も承知

 

かく言う私は、圧倒的インドア派。できるだけ外に出たくないし、体も動かしたくない派です。

 

一方、世の中では一時期こんな言葉まで流行りました。

 

「筋肉は裏切らない」

 

なんてキャッチーでインパクトのある言葉なのでしょう。

 

“裏切らない”の解釈にはいろいろありますが、個人的に私がよく目にする文脈は「メンタルを強くしたいなら、運動をしろ」、そういった類のものです。

 

近年、うつ病とかメンタルに関する注目が高まっているからか、皆さんも一度はそんなニュアンスの話を聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

特にコロナ禍をきっかけに、運動は精神衛生を保つ上でも重要という意識は、急速に広まったように感じます。

 

私自身、すぐ考え事がぐるぐる頭をめぐるメンタル弱めなタイプで、まさにコロナ禍真っ最中に抑うつ状態に陥った経験があります。

 

そんなとき、心療内科の先生に言われたことがあります。

 

「少しずつでいいので、外に出て歩いたり運動してみてください」と。

 

そして心の中でこう思いました。

 

「そんな気力があったら、そもそもこんな状態になってない」と。

 

それからしばらく月日が経ち、うつっぽさからもなんだかんだ抜け出せたころ、今度は友達との何気ない会話で「やっぱり考え事が止まらない」という話になりました。

 

その友達は私の気持ちを汲んではくれつつも、同じタイプではないからか、

 

最終的にはなぜか「まあもっと体動かしてみたら?運動すれば考え事とか飛んでくよ」と言ってきたんです。

 

そして心の中でこう思いました。

 

「え…?なんでそこに着地するわけ?そういう話じゃなくない?」と。

 

そしてまたある日、別の友達とデスクワークで体がガチガチ、なんだかやる気もでないという話になりました。

 

その友達も同じくらいデスクワークで体がガチガチだったのですが、私のような運動嫌いではありませんでした。

 

もう皆さんお分かりですよね。

 

そう、「ガタがきはじめたのかな~」なんて笑い飛ばされるはずだった他愛もない雑談は、

 

「あんたはもっと運動しな」という、友達の口から放たれた鋭い言葉でバッサリいかれたのです。

 

そして私は、心の中で思いっきり毒づきました。

 

「もー!どいつもこいつも、運動運動うるさ~い!」と。

 

 

運動に絡めて話を終えなきゃいけないゲームでもしているのかと疑うくらい、みんな口を揃えて運動しろと言ってくる気がして、ほとほと嫌気がさしていたんです。

 

運動したほうがいいなんて、百も承知。

 

でもメンタルが落ちているからそもそも動く気にもなれないし、考えすぎの根本的な解決策が運動なわけないし、

 

凝りまくった体ではちょっとしたストレッチでもすぐ疲れるし、何より続かない自分にまたメンタルが下がるし…。

 

と、今思えば、壮大な負のスパイラルに陥っていたのかもしれません。

 

「筋肉は裏切らない」とまではいかずとも…

 

それがおかしなことに、運動嫌いだったはずの私が、どうやら最近少し「そっち側」に近づいている気がするのです。

 

体を動かすと本当にメンタルも上向くのかもしれない、と身をもって実感しはじめているのです。

 

すべてのはじまりは”自転車通勤” 

 

一番のきっかけは、転職して自転車通勤になったことでした。

 

新しい職場は、電車で通うにも歩くにも中途半端な場所にあり、一番理にかなった通勤方法が自転車だったのです。

 

ただそれだけなのですが、今思えばこれが大きなターニングポイントでした。

 

会社までは自転車で約20分という、これも運動不足な人間にはちょうどいい距離で、ほんのり汗ばむけれど疲れ切って仕事にならないというほどではない。

 

だからこそ、深く考えることもなく毎日淡々と続けられました。

 

あえて意識するというわけではありませんでしたが、心のどこかで「今の私は、日々最低限体を動かしている」という達成感というか充足感というか…そんなものを毎日感じていた気がします。

 

しかもちょうど川沿いを走る経路だったので、開けた景色を眺めながら、微妙に変化する木々や川の香りも感じて、毎日気分がリフレッシュされていました。

 

そのおかげか、それまではおぼろ豆腐のようにすぐ崩れていたメンタルも、木綿豆腐くらいにはなってきた気がするのです。

 

自転車通勤が板につきペダルを漕ぐ足も軽やかになってくると、だんだんこの運動量では物足りなくなってきました。

 

しかもメンタルが少し上向いているからか「何かもうちょっと運動できる気がする!」と、なんとYouTube動画を活用して自宅で運動する、いわゆる「宅トレ」まではじめたのです。

 

帰宅後、仕事着を脱ぎ捨てながら動画を選び、そのまま15~20分程度汗をかく。

 

そんな日々の達成感は自転車通勤の比ではありません。

 

毎晩「ふ~~今日も動いた動いた~!」と満足感と心地よい疲れを感じながら、布団に潜り込む気持ちよさを初めて知った気がします。

 

 

じわじわ実感する“運動とメンタル”の関係

 

少しずつ運動が習慣化しつつも、まだベースには運動嫌いが残っているので、よく怠けたくなるのも事実。

 

ましてや仕事でモヤモヤした日や疲れて元気がない日は、余計運動なんてする気分になれません。

 

とはいえ、人生初というくらい続きはじめた運動習慣を途絶えさせるのも癪なので、しぶしぶ2分くらいのトレーニング動画を探し出して、とりあえず動いてみます。

 

すると、さっきまでのどんよりした気持ちはどこへやら。ささくれ立っていた気持ちがだんだん和らいでいくんです。

 

「何をそんなむくれてたんだ?」と思いはじめ、さらには「もうどうでもいいや、それよりもっと汗かきたい!」と、前向きな気持ちすら湧いてそのままトレーニング続行。

 

「運動しろ」と言われるたびに突っかかっていた人間が、奇跡みたいな話です。

 

こういう経験を何度かして以来、ようにしています。

 

仕事中、何かイライラすることがあったときや、周りと比較して自己嫌悪に陥ったとき、ふと漠然とした不安を感じたとき。

 

黒いものに自分が飲み込まれかけていると気づいたら、とりあえず一旦立ち上がってみます。

 

実は、そのまま身を任せて闇に飲まれるほうが楽なんだけど、ちょっとだけ踏ん張ってとどまる。

 

それはウォーキングやストレッチなどTHE運動でなくても、トイレに行くとか、ベランダへ出て外を眺めるとか、やり残した食器洗いをするとか。

 

んです。

 

個人的に負のスパイラルに入るときって、ずっと同じ体勢でいたり、同じ景色ばかり見ていたり、”何かが停滞している”ことが多い気がします。

 

動けば体の血が巡りはじめて、連動するように停滞していた気分も軽やかに巡る。

動けば目線や見える景色が変わって、閉じこもりかけていた気分も少し開ける。

 

動くことで問題そのものが解決するわけではありません。

 

でもは生まれると思うんです。

 

私にとって運動とメンタルの関係はそんな感じで、根本から働きかけてくれるというより、スタート地点に立つのを優しくサポートしてくれる感じです。

 

「筋肉は裏切らない」とまでは未だに思えないものの、動くことでマインドセットも変わるということは、こんなふうにじわじわ実感しはじめています。

 

運動嫌いが運動を習慣化できた理由

 

その後、諸事情で自転車通勤が難しくなったので、最近は通勤を片道ウォーキングで置き換えて運動量をキープしています。

 

意外と体力もついてきたのか、もう少し慣れたら往復徒歩でもいけそうだなとまで思っています。

 

少し前の私がみたら顎が外れるくらいの運動量なのですが、そもそもなぜ、運動嫌いが急に運動を習慣化できたのか?

 

正直、なんとなく思い付いてはじめて、気づいたら徐々に定着していたというのが本音ではあるのですが…

 

よーく思い返すと、それらしきポイントが見えてきたのでシェアしてみます。

 

“自分の意思”ではじめたから

 

なんとなくの思い付きとはいえ一つだけ確かなのは、誰かに言われたからでも、心療内科の先生や友達の言葉が蘇ったからでもなく、”自分で”思い至ってスタートを切ったということです。

 

この”自分の意思”ではじめたという事実は、全ての下支えになっている気がします。

 

たぶん、いつもの癖で考え事をしていた際に、たまたま「まあそりゃあ、健康なほうがいいよな」ということから派生して、

 

「運動は疲れるけど、かといって、このガチガチの体のまま何十年も生きていくのもしんどいよな」なんてことが頭によぎったんだと思います。

 

体を動かしたほうがいいという言葉の真意が、自分のなかでようやく腑に落ちた。

心にまとわりついていた変な鎖や重りがやっと外れた。

 

何年も鉛のように重く沈んでいた腰が、急にぷか~っと水面に浮かんでこれたのは、この”納得感”が肝だと思います。

 

“生活に馴染む運動”しかやらないから

 

私の場合、自転車通勤が最初のステップでしたが、これをより汎用性高く変換すると、、これに尽きると思います。

 

この”馴染む”というのは、おそらく一般的なイメージよりも徹底したものです。

 

たとえば、よく自宅や職場に近いジムだと続きやすいと言われますが、私からすればそれはただ「今の生活の近くに”存在している”」だけ。

 

実際に通うなら月謝制?回数券?それに何曜の何時に行く?その日は家事をいつやる?買い出しは?子どもたちのお迎えは?

 

考えること、変えることだらけです。

 

通勤経路を数歩それるだけで済む話ではなく、今の生活の流れを変えるという大きな壁がそこにあることに気づくはずです。

 

その点、。

 

自転車、徒歩、電車、タクシー、どんな手段であれ家には帰る、それならできる範囲で運動に置き換えてみる。

 

もちろん、完全リモートの人や仕事をしていない人でも置き換えはできます。

 

メールチェックだけは必ず立ってやるとか、考え事系のタスクはストレッチしながらやるとか。

 

スクワットのように少し腰を下げて掃除するとか、肩まで大きく使ってテーブルを拭くとか、すでにんです。

 

運動嫌いだからこそ、これくらい徹底的にハードルを下げないと続きません。

 

 

“トータルで考える”ようにしているから

 

実は、先ほど得意げに紹介した宅トレ最近かなりサボり気味なんです…。

 

でも、いいんです。その分、ウォーキングでしっかり動いているから。

 

ただ、そのウォーキングもサボって、普通に毎日電車で帰り続けた週もありました…。

 

でも、いいんです。その翌週からまた再開したから。

 

最近、運動に関する私のマインドは基本こんな感じです。

 

どの運動をしたかではなく1日でどのくらい動いたか、毎日ではなく月や年単位で見て続いているか。

 

なるべく大きく捉えて、トータルで考える

 

これくらいどっしり構えるようにしてから、少々サボる日が続いても必要以上に自分を責めることが減りました。

 

むしろ「いつもよく頑張ってるんだから」と、自分を労わってあげられるようになったかもしれません。

 

あと宅トレに関しては「通勤に比べたら生活に馴染まないから、当然と言えば当然だ!」なんて開き直ってみたり…

 

やっぱり運動はメンタルを強くしてくれるみたいです。

 

気が向いたら動けばいい

 

そうは言っても、まだまだメンタルが沈むことは当然あるし、気を抜くとすぐに「動かないほう」へ逃げてしまいます。

 

動けば心も軽くなると身をもって経験したのに、どうしてもうずくまってしまうことはある。

 

でも、そんな自分を責めず、また動きたくなったら動けばいい。

 

何にせよ大切なのは自分の気持ちということです。

 

元々運動嫌いなんですから、気が向いて小さなハードルを1つ飛び越えただけで表彰もの。

 

それくらい図々しくていいと思います。

 

私も気が向くまで、徒歩通勤を往復にしたり宅トレを再開したりもしません!笑

 

お互い焦らずゆっくり心身の健康を育みましょう。

ライター:プロフィール

とにかく「言語化」することを軸に、自身のnoteを中心に活動するライター。
心や頭に浮かぶ漠然とした不安やモヤモヤも「言語化」にできると少し落ち着く。目まぐるしく変化する時代でも、地に足をつけていられるよう「ことば」でその道を照らしたい。


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