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本当に”体に良い食事”のレシピはSNSではなく、あなたの中にある

Written by
花野みずき (はなの みずき)

 

We are what we eat ―――― 「私たちの体は、私たちの食べるものでできている」

 

このことばを聞くたび、本当にその通りだなとしみじみ感じてしまいます。そして、毎日何を食べるかって、実は“自分をどう扱うか”に直結しているなとも思うんです。

 

今回はそんな視点から、私の食との向き合い方と、ちょっと偏った食への愛を綴ってみます。

 

 

食べることは私にとって最重要事項

 

日々の生活において、私が一番重きを置いているものこそが、毎日の「食事」です。

 

日常だけでなく旅先でも、観光スポットよりもまず先にグルメスポットばかりリサーチするタイプです。

 

美味しいものを食べているときが一番幸せ。

美味しいものを食べれば機嫌が直る。

美味しいものをできるだけたくさん食べてから死にたい。

 

そんな、常に食べることばかり考えている、食への執着100%な人間なのです。

 

だって、美味しいものの力ってすごいじゃないですか。

 

まず味、食感、見た目、香り、調理の音、五感を一気に満たしてくれますよね。

 

そして、舌で味わって体に取り込んで、ただ満腹感を得るだけではなく、「あぁ、美味しい~~!」ってにっこりしている時間に、心まで満たされていく。

 

万能薬すぎませんか?

 

 

もちろん、どうしても忙しくて適当に済ませることもあります。

 

でもやっぱり、たとえばコンビニで「どれもそんなにそそられないけど時間がないし…」となんとなく手に取ったものは、いくら健康そうなメニューでもイマイチ満足しないんですよね。

 

お腹はたしかにふくれたはずなんだけど、なぜか食べた気にならないというか、脳と体がちぐはぐというか。

 

もっと悪いときは、体がむしろだるくなることもあります。

 

食べ物ってエネルギーになってくれるはずなのに、鉛を飲み込んでしまったのではないかというくらい、逆に体から精力が奪われる。

 

だから、私は毎食妥協したくないんです。

 

中途半端に食べて心が満たされないなら、空腹を募らせるほうが良い。

 

ちゃんとお腹を空かせて、本当に食べたいものを口と胃と心と…全身で楽しむ。それが何よりも幸せなのです。

 

食べたものが自分を作るって、単に栄養面の話だけではなく、こうした精神面も大きいと私は思います。

 

 

何を食べるべきかは体に聞く

 

そんな、食へのこだわりが強い私ですが、何もとにかく量を食べたいわけではありません。

 

たしかに「胃袋があと5個くらいあればいいのに…」と思ったことは人生で多々ありますが、大切なのは量より質。

 

体だけでなく心まで満たしてくれる食事なわけです。

 

だから、何を食べるか決めるときは必ず「自分の身体」に聞いています

 

「何を食べようか~どんな気分かな?」といろんなメニューを脳内でシャッフルカードしながら、自分の体に聞く。

 

ピンとくるカードにあたるまで、ひたすら自分に問うのです。

 

例えば、朝起きた時。

 

半分寝ぼけながらも、頭の中で「どうする?パン食べたい?ごはんの気分?なんか違うよね…作るのもめんどくさいし…」と語りかけ、

 

「あ、あれだったら食べれるかな?うん……うんうん、いいかも!食べたい!」と、頭の中でピースがハマった瞬間に、急にお腹がちゃんと空き始めて体も頭も起きはじめるんですよね。

 

仕事中の間食なら「めちゃくちゃ頭使ったから、さすがにチョコオールドファッションとコーヒーのコンボをキメたい」とか、「今の私、絶対塩おにぎりが一番ウマい体だ!」とか。

 

夜ごはんなら「今日のお腹の空き具合だと、ガッツリこってり食べちゃいたいな、でも後味はさっぱり系がいいからトンカツをポン酢で食べるか!」とか

 

「いや、朝ごはんっぽいけど今日は白米を漬物でかきこみたい、しかも白菜の漬物!」とか、かなり具体的に思い浮かべます。

 

そして、自分の体に聞いた通りのものを食べると、これがめちゃくちゃに美味しい。

 

そのメニューがたとえ素朴な一汁一菜でも、ジャンキーな揚げ物でも一緒。

 

欲しいものは、心と体がちゃんと知っているんですよね。

 

今の時代、何が健康にいいとか、これは美肌に効くとか、腸活にはこういう栄養素が必要とか、いろんな情報があふれています。

 

 

しかも忙しい現代人には、週末に作り置きしたおかずを、計画的に平日消費したり、いっそメニューを固定化して栄養も調理も最効率化!みたいなSNS投稿も刺さりますよね。

 

私も「なるほど…」と納得はするんですが、いざ、毎食の選択がそういう外部の情報に引っ張られると、なんだか食事にワクワクしなくなるんですよね。

 

なんなら、体もあまり健康になった気がしない。

 

それもそのはず、と私は思えて仕方がありません。

 

だって、私たちの体の状態は、日々微妙に違うじゃないですか。

 

内部のコンディションもあれば、外部からの刺激を受けて変化したりもする。一日として全く同じ状態というのはあり得ないですよね。

 

だとしたら、その日その時、体が必要とする食事だって変わってくると思うんです。

 

たとえ理論上、最高に栄養バランスが良い食事でも、体の声を聞いたものでないのなら、きっと体だってその食事をスルーして、せっかくの栄養も吸収してくれない。

 

一方、一見栄養バランスはイマイチそうでも、ちゃんと自分の体に聞いたメニューなら、それを食べれば心も体もハツラツになる。

 

そんな気がしています。

 

本当の意味で体に良い食事のレシピは、SNSじゃなくもっと身近、あなたの体が知っているんです。

 

 

料理の時間も食事の一部

 

だから、私は作り置きをあまりしません。

 

せいぜい作っても次の一食分まで多めに作るとか、日持ちやリメイクが効くおかずを1、2品ほどです。

 

その理由は、ここまでお伝えした通りです。

 

休日の午前いっぱい使って頑張って作っても、明日にはそのメニューの気分じゃなくなっている、そんなことがザラにあるからです。

 

それでも痛むからと作り置きを消費することが義務になった瞬間、ますます食べたくなくなって、何日か後にイヤイヤ口に詰め込むか、食材に謝りながら廃棄するか…

 

そういうことが重なったので、作り置き生活は諦め、その日、食べたいと思ったものを、その場で作る生活にシフトしました。

 

 

もちろん、めちゃくちゃめんどくさいです。毎回ちゃんと自分の体に聞くことのデメリットは、確かにここにあります。

 

唐突に手作り餃子が大量に食べたくなって、その材料だけスーパーに買いに行かなきゃいけない、しかも包むのに時間もかかる、みたいなことが多々起こります。

 

最初は、それがとても非効率に思えて「いやいや、次の買い出しまで我慢」と抑え込むこともあったのですが、最近、「いっそその調理の過程すら楽しんでしまえばいいのでは?」と思うようになりました。

 

実際、体が本当に欲するものを作っているときって、気分もちょっと上がるんですよね。

 

副菜用の野菜を切りながら「うんうん、いい感じかな~?」と、主菜の火の通り具合を耳で感じたり、「は~いい匂い~早く食べたい!」と蓋を開けてあふれ出た湯気を胸いっぱい吸いこんだり。

 

時間も手間もかかって、非効率なことに変わりはないんだけど、なんだかんだ毎日楽しんでしまうんです。

 

自分の体にちゃんと耳を傾けているということが、自己肯定感も高めてくれているのかもしれません。

 

メニューを考えるときも、作るときも、食べるときも、ずっとそこに意識をフォーカスさせていて、なんだか知らず知らずのうちにマインドフルネスに食事を摂るようになっているのかもしれません。

 

 

親の心子知らず

 

こんな風に食べることが大好きな人間に育ったのは、昔から母が私に「ちゃんとしたものを食べさせる」ことを頑張ってくれていたからかもしれません。

 

ちゃんと栄養のある美味しいものを、私にたくさん食べさせたいと品数を増やし、新しいメニューにもよくチャレンジしてくれていました。

 

そんな母の口癖は「女の子は美味しいものを食べとかないと、旦那さんに作ってあげられないからね」。

 

でも母さん、ごめん。

 

美味しいものをたくさん食べさせてもらった私は今、日々自分のためだけに料理してるよ!

 

ライター:プロフィール

とにかく「言語化」することを軸に、自身のnoteを中心に活動するライター。
心や頭に浮かぶ漠然とした不安やモヤモヤも「言語化」にできると少し落ち着く。目まぐるしく変化する時代でも、地に足をつけていられるよう「ことば」でその道を照らしたい。


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