正直に言うと、私は昔からアートに興味があったわけではありません。
両親もそういった場所に特別足を運ぶタイプではなかったので、むしろ、美術館や博物館といった場所は、自分とは縁遠い世界のように感じていました。
美術館と聞くだけでなんとなく敷居が高い感じがするし、特別な知識がないと楽しめない場所のような印象を持っていたのかもしれません。
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「縁遠い存在」だったアートが身近になった
そんな私がアートに興味を持つようになったのは、大学生になってからでした。
大学進学をきっかけに地元広島から関西に出たことで、この環境の変化が、私とアートとの関係を大きく変えました。都会な関西には広島にいた頃よりも、はるかに多くの美術館や博物館があり、「選択肢」が一気に増えたのです。
「○○展」といった企画展示もよく開催されていて、そうしたイベントのチラシや広告を目にしたら、気軽にふらっと寄れるような場所にある。
広島にいた頃は、関西に比べるとそういった選択肢はやはり少なかったので、興味を持つ機会そのものが限られていたのかもしれないことに気づきました。
さらに大きかったのは、大学の友だちの存在です。
彼女たちは、普段の何気ないおしゃべりの最中にも、ごく自然に「この展示見に行ってみたいんよな〜」なんてよく話していたんです。
最初こそ緊張したものの、何度かついていくうちに、私自身もだんだん素直に楽しめるようになっていき、今となっては気になる美術館や企画展には自分一人でも足を運ぶようになりました。
まるで映画を見に行くのと同じような調子で誘ってくるので、アートに馴染みのない私は少し戸惑いました。
そして何より「私なんかが行っても楽しめるのだろうか」という不安も。
実際、誘われるがままについて行ってみても、やっぱり緊張するわけです。
正直なところ、深い考察ができない自分を少し恥ずかしく思うこともありました。
「友だちも、周りにいるマダムたちも、いろいろ感じとってるんだろうな」とか、「よく分かってないのに分かったような顔して回っててごめんなさい……」みたいな(笑)
でも、蓋をあけてみたら意外と友だちも似たような漠然とした感想しか持っていなくて。
帰り道で「あの絵なんかめっちゃ良かったな~!」「あの画家のタッチなんか好きだったわー!」とか、あっけらかんと話すのを聞いて、純粋に自分の感覚で作品を楽しんでいいんだと思えるようになりました。
最初こそ緊張したものの、何度かついていくうちに、私自身もだんだん素直に楽しめるようになっていき、今となっては気になる美術館や企画展には自分一人でも足を運ぶようになりました。
やっぱり環境って大きい。
自分がそれまで触れてこなかったものに、自然と引き寄せられるようになったのは、物理的な環境と友だちの存在が大きかったと思います。
とはいえ、アートに関する知識は相変わらずありません。
今だって、絵画の技法について詳しく語ることもできないし、美術史の流れを理解しているわけでもありません。
だから、作品を見ても感想はいつも「なんとなくすごいな」とか「好きだな」といった、とても漠然としたものになってしまいます。
でも、知識がなくても、その瞬間に感じたことを大切にする。
美しいと思ったら、好きだと思ったら、素直にそのまま感じる。
そんな、ちょっとミーハーな楽しみ方でもいいと分かっただけで、アートとの距離はグッと縮まりました。
「怖い絵展」で気づいたアートの面白さ

《レディ・ジェーン・グレイの処刑》1833年ポール・ドラローシュロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
そうしていろいろとアートに触れる機会が増えていく中で、特に印象に残っているのが「怖い絵展」です。
タイトルのとおり、ただ美しいだけではない、むしろゾッとするような背景を持った絵画を集めた展覧会でした。
一見すると普通の風景画なのに、実は争いの後に幽閉された人の視点で描かれた景色だったり、逆に生首が描かれたいかにも恐ろしい絵画なのに、実はその背景にあるのは愛だったり。
そうした背景を知ったとたん、絵の印象ってガラリと変わるもの。
音声ガイドの語りに耳を傾けながら、ひとつひとつじっくり見て回ったあの時間は、今でも記憶に残っています。
そしてこの「怖い絵展」を通して気づいたのは、私は絵そのものよりも、その「背景」に強く惹かれるタイプなんだということです。
なぜその絵が生まれたのか、作者はなぜこれを描こうとしたのか。
作品そのものの美しさだけではなく、そこにある「ストーリー」こそが、私がアートに惹かれる理由なんだと気づきました。
振り返ってみると、それってアートに限った話ではありませんでした。
目の前にあるものがどうして生まれたのか、どんな背景からそうなったのかを知りたい、紐解きたい、言語化したい。
異国の文化に興味があるのも、最近、世界遺産に夢中になって検定まで受けたのも、それらの背景にある歴史や人々の営みといったストーリーに、私は魅力を感じているから。
はたまた他人や自分の考え、感情にだって、必ずそこに至った過程がある。
目の前にあるものがどうして生まれたのか、どんな背景からそうなったのかを知りたい、紐解きたい、言語化したい。
そういう意味では、全部根っこでつながっている気がしています。
自分らしいアートとの付き合い方
私はおそらく、今後も芸術そのものに詳しくなることはないと思います。知識がないまま、感想はずっと「なんか好き」止まりかもしれません。
でも “見えない部分”に思いを馳せて、その「なんか好き」を深めていく。
それが私なりのアートの楽しみ方だと、今は自信を持って言える気がします。
これからも気負わずミーハー心全開で、目についた美術展には足を運んでみようと思います。

ライター:プロフィール

とにかく「言語化」することを軸に、
心や頭に浮かぶ漠然とした不安やモヤモヤも「言語化」