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【映画レビュー】私たちは何を食べているのか?―フード・インクが問いかける食の現実

Written by
條川純 (じょうかわ じゅん)

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誰もが健康的な食べ物を手にする権利がある。

 

そう聞くと、当たり前のことのように思えますよね?  

 

食べることは生きる上で欠かせない行為です。あまりにも日常に溶け込んでいるからこそ、私たちは「その食べ物がどこから来ているのか」、そして「誰がその食をコントロールしているのか」を深く考えることはあまりありません。

 

ドキュメンタリー映画『フード・インク』は、アメリカの食品業界の知られざる闇を映し出しています。なお、この作品は2009年に公開されたものであり、紹介されている法規制や統計データは、現在では変わっている可能性があります。

 

アメリカでは、「農家は国の大黒柱である」という言葉があります。  

 

20世紀の、食べ物が当たり前のように手に入る時代に育った私にとって、目の前のレタスを誰が育てたのか、肉がどこから来たのかを深く考えたことはありませんでした。  

 

それは人によっては「特権」とも「無知」とも言えるかもしれません。けれど、そう遠くない昔まで、農家とは家族経営で、自分たちが作るものに誇りを持つ存在でした。今では、それが企業に取って代わられています。

 

農業のあり方が大きく変わったのは、ファストフードが普及し始めたときです。  

 

マクドナルドはその先駆けのひとつで、手軽に安く提供できる肉の需要を一気に高めました。  

 

ファストフードが急拡大する以前、アメリカの食肉市場においてトップ4社が占めていたシェアはわずか25%でしたが、今ではそのシェアが80%にまで上がっています。

 

つまり、小規模で独立していた農家はどんどん追いやられているのです。

 

「限られた土地で、たくさんの食べ物を、安い値段で作る。これのどこが悪いんですか?」  

全米チキン協議会のリチャード・ロブ氏はそう語ります。

 

もちろん、安価な肉を買えることはありがたいことです。  

でも、その代償は一体何なのでしょうか?

 

このドキュメンタリーでは、大手企業と契約している生産者たちの声にも光を当てています。

 

ヴィンス・エドワーズは、アメリカ最大級の食肉会社タイソンで鶏の飼育を行っています。かつてはタバコ農家でしたが、業界への厳しい批判により廃業を余儀なくされ、今ではタイソンの契約農家として収入を得られることに感謝していると語ります。働き口があること、家族を養えることはもちろん大きな安心です。

 

でも、こうした大企業が本当に従業員の健康や幸せを気にかけているのでしょうか?

 

 

作品の中では、パデュー社と契約するキャロル・モリソンも紹介されます。彼女は、会社からの厳しい態度に苦しみながら働いています。タイソンやパデューのような企業は、運営費をまかなうために農家に借金をさせる仕組みを取っています。その結果、効率を最優先する体制が労働者や動物にとって非常に危険な環境を生み出しています。

 

一般的な生産者は約50万㌦(7250万円)の借金を抱えながら、年収はたったの1万8千㌦(260万円)程度にとどまります。

 

では、「農業」と「大量生産」の違いとは、一体なんなのでしょうか?

 

リチャードのような人々は、鶏を「動物」ではなく「食べ物」として見ています。だからこそ、より効率よく手に入る鶏を作り出す方法を模索するのです。企業は、鶏の肉量を増やすために遺伝子操作を行い、筋肉と内臓のバランスが不自然になってしまっています。

 

ここで、私自身の葛藤があります。私は肉が好きで、毎日ではないけれど、たまにチキンやビーフを楽しんでいます。  

 

そんな私が、ただ利益を求めて働いている人たちを批判する資格があるのでしょうか?結局食べるのなら、安ければどう飼育されているかなんて関係ないのでは?

 

でも、私たちが普段気にしない“別のコスト”こそが、長い目で見て私たち自身を苦しめることになるのです。

 

ご存じですか?2000年代以降に生まれた子どもたちの3人に1人が、将来的に2型糖尿病になる可能性があると言われています。  これはかつてなかったことです。政治的な話にしたくはありませんが、食のコントロールには政治が大きく関わっています。  

 

私たちを守るはずのFDA(アメリカ食品医薬品局)やUSDA(アメリカ農務省)のような組織は、大規模工場の元関係者たちによって運営されていることが少なくありません。こうした監視体制の甘さにより、多くの屠殺場では管理が行き届かず、病気が蔓延する温床となっています。

 

有名なE.コリ(腸管出血性大腸菌)の集団感染を覚えている方も多いかもしれません。あの感染拡大は、牛に本来の草ではなく、コスト削減のためにトウモロコシを与えたことが原因でした。その結果、子どもを含む多くの命が失われました。 命の重みが、大量生産の“便利さ”によって軽く見られていいはずがありません

 

 

「私たちは、食べ物というこれほど大切なものについて、あまりにも無関心で無知になってしまったのです」  

 

そう憤りを込めて語るのは、ポリフェイス・ファームのオーナー、ジョエル・サラティンです。  彼は倫理的な農法を実践し、働く人や動物たちを敬意をもって扱うことを大切にしています。

 

彼の言う通り、健康的な食事は「特権」ではなく「権利」であるべきです。  

 

私自身、食べるという行為を「大切な営み」として考えたことはありませんでした。でも、よく考えてみると本当にそうなんです。私たちは企業を信じて、その食べ物を体の中に取り入れているのです。体は一つだけ。命も一つだけ。   

だからこそ、大切にしたいし、できる限り良いものを取り入れたい。その願いに、値札がついてはいけないのです。

 

ここで改めて問いかけたいと思います。  

 

「農業」と「大量生産」の違いは何でしょうか?

 

農業は、人と人とをつなぐ営みです。  

家族が食卓を囲むこと。  

良質な食べ物で幸せを届けること。  

農業は“人”が中心にあるものです。

 

けれど、工業型の食品産業はそのつながりを奪ってしまいました。  

そこにあるのは、あくまで「利益」が最優先だからです。

 

安価な肉の裏に、労働者への搾取があってはいけない。
小さな農家が追い出されるような仕組みであってはいけない。
そして何より、私たちの「健康」が犠牲になってはいけないのです。

 

しかし現実として、健康的な食事は高くつくようになってしまいました。  

 

「誰もが手に入れられるべき」と言っても、それは理想論に聞こえてしまうかもしれません。だからこそ、私たちは食品業界そのものを見直す必要があります。  

 

長い間、大企業は私たちが「何を食べるべきか」「何を食べるべきでないか」を決め、トウモロコシや大豆など特定の作物に依存する市場を作り出してきました。

 

でも、私たち消費者にも力はあります。  

自分の体に何を入れるかを決めるのは、自分自身です。  

少し高くても、より良い食材を選べる余裕があるなら、そうすることには意味があります。  

大手企業がつくる肉を買わないという選択をする人が一人増えるたびに、  

「私たちはそのやり方に賛成していない」という意思表示になるのです。

ライター:プロフィール

インタビュー:條川純 (じょうかわじゅん)

日米両国で育った條川純は、インタビューでも独特の視点を披露する。彼女のモットーは、ハミングを通して、自分自身と他者への優しさと共感を広めること。


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