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家族との関係は悪くないけど、無意識に気を張ってしまう自分もいる

Written by
花野みずき (はなの みずき)

 

私は一人っ子。
両親からの愛情をひとり占めして育ってきました。

 

特段裕福な家庭というわけではないけれど、生活に困るようなことはなく、習いごとや行きたい大学などやりたいことはだいたい挑戦させてもらえました。

 

たしかに、恵まれている環境でした。

 

だけど、昔からどこか、心の奥には”家族に対する説明のつかないモヤモヤ”があります

 

「なんでこんなに満たされないんだろう」と、自分でもうまく言葉にできないまま、今もときどき、その違和感に足をとられそうになります。

 

生まれ落ちたのは、正反対な父と母の間

 

母を一言で表すと、とても明るくてよくしゃべる人。そして頑張り屋さんです。

 

家事は全部ひとりでこなすし、料理も美味しい手の込んだものをパパッとつくってしまう。

 

忘れ物は多かったりと、ちょっと抜けているところはあるものの、基本的にはとてもしっかりしていて、私にいろんなことを学ばせ、経験させようと常にあれこれ考えてくれていました。

 

それはそれはたっぷり私に愛情を注いでくれて、小さいころの私はそんな母が大好きでいつもべったりでした。

 

そうなると、いつの間にか母が絶対的な存在になっていきます

 

「母さんがいれば大丈夫。母さんが言うならそれが正しい。」

 

でも、大きくなるにつれ、世界というのはもっと広く、いろんなもので溢れていることに気づく。
そこに正しさなんてものは存在せず、100人いれば100通りの答えがあって良いということも知る。

 

そうすると、私の中で母の存在がちょっと揺らぐ。

 

その愛情がちょっと重たくなってきて、ふとしたときに「あれは母が思い通りにしたかっただけじゃないか?」と思う記憶がちらほら出てくるんですよね。

 

そうなると、普段の母との会話にも違和感を覚えはじめます。

 

「結婚は?彼氏は?」と何度もズケズケ踏み込んでくるし、何気ない世間話のなかにも、ちょっと古い考え方や“べき論”を感じ取るようにもなってしまって。

 

最近はそのエネルギーに生気を吸い取られる感覚もある。

 

もちろん、母のことは今も好きだし大事だし、尊敬もしています。

 

でも子どもの頃には気づかなかった一面が見えてくると、途端に付き合い方が分からなくなってきてしまったんですよね

 

一方、父はというと母とは正反対。

 

 

基本、母のように暇があれば他愛もない話を吹っかけてくることもなければ、こちらが話しかけても最低限の返答しかしない。

 

……というか、そもそも口を開いてないんじゃないか?

 

子どもの頃を思い返しても、父がつらつら喋っている風景はほぼ思い出せません

 

そんな父の血を強く引いたのか、幼い頃から自分の気持ちを伝えるのが苦手だった私は、とにかく泣き虫でした。

 

でも、私が泣いていても父は特に声をかけてこない

 

母が一目散に駆けつけるから隙がなかったのかもしれないけれど、父が慰めてくれたり、話を聞いてくれた記憶は、少なくとも物心ついてからはありません。

 

そのぶん、何かで口うるさく怒られたり、たしなめられることも大してありませんでした。

 

私が、どんな習いごとをはじめようと、辞めようと、どの高校に進学しようと、大学で県外に出ようと、父はまったく口を出さないし顔色一つ変えない。

 

幼馴染なんて、私が県外に出ると言ったらポロポロ泣いてショックを受けてたのに…!

 

よく言えば「干渉しない父」でしょう。

 

でも今思えば、学生の私にとって、一番身近な家族が、実の父親が「何も言ってくれない」のはとても不安で寂しかったんじゃないかと思うんです。

 

その沈黙に、ひとりで大きな決断を背負っているような、そんな孤独を感じていたような気がします。

 

そして、いざ本当に県外の大学に進学が決まり、いよいよ旅立つという時も、父が来てくれたのは見送りだけ。

 

平日だったか私の荷物を出すのに残ってくれたんだか、何か理由があったような気がしなくもないけど、引っ越しについてきてくれたのが母だけというのには、やっぱりどこか寂しさがありました。

 

それに、積もっていたモヤモヤも相まって、新幹線のなかで思わずメールを打った記憶があります。

 

「あの時も、あの時も、父さんはなんで何も言ってくれんかったん?」って。

 

すると、返ってきたのは「やりたいようにやればいいと思っていた」というような内容でした。

 

テキストですら口下手な父にしては、いろいろ書いて弁明してくれた気はするけれど、当時の(いや、今も)私からしたらこの一言に尽きます。

 

「それを面と向かって言ってくれ……」

 

今思えば、何も言わず見守ることが父なりの愛情だったのかもしれません。

 

それでも、やっぱり言葉にしてもらえなければ、伝わらないことってたくさんあるんですよね。

 

胃もたれするくらい言葉を浴びせてくる母と、不安になるくらい喋らない父。

 

そんな両極端な環境で育つうちに、私はどちらかに偏ってはいけない、バランスを取らねば、と無意識に力んでしていたのかもしれません。

 

全てを育った環境や両親のせいにするつもりではないけれど、”人の顔色を気にしすぎる性格”になった大きな要因の一つではある気がします。

 

 

 

私にとって家族は、一番近くて遠い

 

もう子どもとは言えない年齢になった今もたまに、この二人の狭間でどんな娘でいればいいのか分からなくなることがあります。

 

最近は母が企画してくれて家族3人で出かける機会が増えました。

 

おばあちゃん家以外の家族旅行があまりなかった子ども時代なので、その時間はシンプルに楽しいし、心から笑う瞬間も多々あります。

 

でも、その途中にふと「なんか……家族、演じてんな」と急に冷徹に客観視してしまう瞬間もあるんですよね。

 

一番近いはずの家族なのに、たまに突然、まったく分かり合えないものすごく遠い人に感じる、みたいな。

 

で、何より、大事な家族に対してそう思ってしまう自分にも罪悪感を覚えて、少し疲れる。

 

こんな感じなので、あまりずっと近くに居すぎるといつかバランスを崩してしまいそうで、今は実家の近くで一人暮らしをしています。

 

歩いてほんの10分の距離だし、なんなら職場には実家のほうが近いし、いろんな意味でコスパは悪いです。

 

でもこのほんの10分の距離が、私の心、そして家族仲を守るのにめちゃくちゃ大事な気がするんですよね。

 

 

家族の形に正解はない

 

ふとSNSなどで、幼馴染がその家族ととても仲睦まじそうに旅行したり、一堂に会して親御さんの還暦祝いをしたりする様子を見かけると、その姿が眩しくて「なんで私はこんな風にできないんだろう」と思ってしまうことがあります。

 

私はいつまで、上手くバランスを取れない子どものままでいるんだろうと、情けなくなることもあります。

 

だけど、家族の形に正解はないし、私と父と母が良ければそれで良い。

 

どれだけクセの強い両親でも、その狭間で揺さぶられようとも、家族を大事にしたい気持ちも本物。

 

それを忘れずに、限りある家族の時間をちゃんと噛みしめられる大人になりたいものです。

ライター:プロフィール

とにかく「言語化」することを軸に、自身のnoteを中心に活動するライター。
心や頭に浮かぶ漠然とした不安やモヤモヤも「言語化」にできると少し落ち着く。目まぐるしく変化する時代でも、地に足をつけていられるよう「ことば」でその道を照らしたい。


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