Humming♪

地道な練習は、絶対に無駄にならない。覚悟を決めた先につながった日本記録【競泳選手 青木玲緒樹のIt’s My Story】

今年3月に東京辰巳国際水泳場で開催された「国際大会日本代表選手選考会」。100mと50mの平泳ぎで日本新記録を樹立し、優勝という快挙を成し遂げた青木玲緒樹(あおきれおな)選手をインタビュー。昨夏の東京オリンピック(五輪)では、予選落ちという結果を前に“引退”を考えるほど落ち込み、苦悩の日々を過ごしたという彼女が、そこからどのように再起を図り、圧倒的な泳ぎを見せるに至ったのかーー。輝かしい功績の舞台裏にあった、当時の葛藤や想いも伺いました。

aoki

体力づくりで始めた水泳が、自分の生きる道に

水泳との出会いは3歳のころ。未熟児で生まれ、実は他の子供たちよりも体が小さくて虚弱体質だったという青木さん。「少しでも体力がつけば」という母の願いもあって、地元のスイミングスクールへ通い始めました。当時は水泳と並行し、体操も習っていたそう。

「私自身は記憶にないのですが、母の話によると、水泳よりも体操が好きだったようです。体操はダイナミックな動きができるから、きっと楽しかったのでしょう。結果的に、水泳がもたらす体へのプラスの影響はとても大きかったようで、私は基礎体力がどんどんとついていき、風邪などで幼稚園を休むこともなくなりました」

水泳と体操を皮切りにサッカー、少林寺拳法、空手、柔道とさまざまな習い事に励み、スポーツ三昧の子供時代を過ごしていたそう。そして、水泳とともに長期にわたり続けていたのは意外にも柔道だった、ということに驚かされます。

aoki
平井コーチにアドバイスを受けながらの練習風景。

「水泳は自分に向いていたのかな、と思います」と分析する青木さん。小学校3年生のころには、縁があって、東京スイミングセンターに通うほどの実力がついていました。そこは金メダリストの北島康介さんなど、数々のオリンピック選手を輩出した強豪スイミングスクールです。その一方で柔道にも並行して通った日々。

「本格的に水泳に励んでいましたが、柔道教室では完全に弱い生徒で(笑)。同年代の子供たちと技を組めないほど弱くて、自分よりも年下を相手に道場の隅で練習していました。怪我をしては水泳に支障が出てしまうという理由もあって、中学生になる前に辞めることになりましたが、それまでは水泳の息抜き、趣味という感覚で楽しんでいました。当時の私には、水泳と柔道の2つの世界があることで、良い感じにバランスが取れていたのかもしれません」

中学生以降は水泳一本に絞り、水泳三昧の中・高校時代を過ごすことに。放課後は、現在もお世話になっている平井伯昌コーチの指導のもと、東京スイミングセンターで練習漬けという生活を送ります。

「学校の友達と遊んだという思い出はありませんが、スイミングスクールに行けば、水泳仲間と会えるし、それで十分楽しかった。もちろん、泳ぐことも好きだったので、練習がつらいとか、辞めたいと思ったことはありませんでした」

aoki

東京オリンピック後、“引退”の文字が頭に浮かんだ

青木さんは、社会人となり、さまざまな大会で実績を上げる活躍をみせる一方で、人知れずもがき、苦しんだこともあったそう。特に忘れられないほどの大きなスランプを二度ほど経験したといいます。

「まずは2019年のジャパンオープンのときでした。代表落ちしてしまったのですが、そのショックが大きくて、自分の泳ぎもわからなくなってしまいました。そのときに平井コーチからの助言もあって、東京スイミングセンターで中高生の選手たちとの合宿に参加しました。
やる気に満ちあふれた若い選手たちの様子を見て、ものすごく刺激をもらいました。それから自分の泳ぎのダメなところを一つひとつ見直して、立て直していくという作業をして。じっくりと自分に向き合うことで、見えてきたものがありました。

結果、2ヵ月後の追加選考会では念願の代表権を獲得できました。このときは、東京オリンピック出場という大きな夢もあったので、それも頑張る原動力になっていましたね」


二度目の大きなスランプは、まだ記憶に新しい、今年3月に行われた国際大会日本代表選手選考会のときのこと。東京オリンピックでは予選落ちという結果に終わり、さらにコロナ禍の影響で福岡での世界選手権が延期になり、他の試合も続々と中止になったことで、青木さんのモチベーションは急激にダウンしてしまいます・・・。

「東京オリンピック終了後から国際大会日本代表選手選考会までの約半年間は、『頑張るぞ!』という気持ちと『このままでは、続けていけないかもしれない』という気持ちの狭間で、ものすごい葛藤がありました」

悩んでいても、練習自体を休むという発想はなかった

日々、思いが大きく揺れ動き、「ポジティブなときとネガティブなときの気持ちの振り幅に自分自身がついていけず、とてもしんどかった・・・」と、当時を振り返ります。

「なぜ、そんなふうに気持ちが揺れるのかーー。実をいうと、その理由を私自身はわかっていました。ズバリ、理由は『やるか、やらないか』です。つまり、現役続行か引退か。自分自身がどうしたいのか、どうすべきなのかがわからず、覚悟を決められずにいたんですよね。

だから、気持ちがブレブレで、2週間に1回は『水泳を辞めたい』と口にしたり、そんな状態だから、練習していても集中できず。平井コーチに『プールから上がりなさい!』とお叱りを受けたこともありました。ただ、不幸中の幸いというか、どんなに悩んでいても、私のなかに練習自体を休むという発想はなかったんです。何だかんだと悩みながらも、スクールには通っていました。今思うと、それがとても良かった。なぜなら、水泳仲間とたわいもない会話をして心が軽くなったり、時に集中力が途切れたとしてもプールで泳ぐことで、一人悶々と悩み、ドツボにハマることを回避できたから。

悩みを抱えていると不眠になると聞きますが、私は体を動かしていたからか、夜に眠れないということも皆無でした。決まった時間に眠くなり、ぐっすりと熟睡。そんな自分に『あれ、私の悩みって案外、浅いのかな?』と笑ってしまったことも(笑)。やはり、体を動かすことは、体だけでなくメンタルにも良いのだとあらためて実感できました」

aoki

覚悟を決めたら、すべてが上手く回り始めた

出会ってからもう17年近く、指導を受けてからは14年も経つ平井コーチのことを、青木さんは「いつも叱咤激励をしてくれる存在」だと表現しています。

「私が練習に集中できなかったときも決して見放さず、真摯に話を聞き、付き合ってくれました。そんな地道なやり取りを積み重ねらてこれたおかげで、『先のことは考えられないけれど、ひとまず目の前のことに集中して、一回一回の練習を精一杯やろう』という気持ちになれました。そして、大会があと2週間と迫ったときに、自分のなかでようやく『引退はしない。現役続行!』という“覚悟”が決まったんです。

本来、大会2週間前といえば、つらい練習を終えて、徐々に練習量を減らしていくテーパリングという時期。にもかかわらず、そのタイミングで重要な決断をした青木さんは、「『よし、やるぞ!』と気合が入りまくってしまいました(笑)。でも、ここで腹をくくれたからこそ、自分が強くなれたと思います」と笑顔に。

「紆余曲折あった私を側で見守ってくれていた平井コーチからも、『玲緒樹が頑張ると言うなら、俺たちは全力でサポートするから!』という言葉をもらって。それは大きな安心になりましたし、本当に心強かったです」

aoki
日本新を記録した、2022年国際大会日本代表選手選考会での泳ぎ。 PHOTO = Hiroyuki Nakamura

地道に練習をしていることは、絶対に無駄にならない

そして迎えた3月の日本代表選手選考会。青木さんは圧倒的な強さを見せ、100mと50mの平泳ぎで日本新記録を叩き出しました。100mでは従来の日本記録を0秒69塗り替え、1分5秒19という記録を残すことができたのです。

「自分でもびっくりの一言です。あのタイムが出るとは、夢にも思っていませんでしたから。家族も、『一体何があったの!?』と、身近なひとも驚きを隠せない様子でした(笑)。私はこの一連の出来事から、人間は“覚悟”を決めると、スランプから脱却することができる、全力を発揮できるということ、そして、自分の気持ちがしっかり固まれば、周りも応援してくれことを痛感しました」


そんな青木さん、偉業を成し遂げてから1ヵ月間ほどは“燃え尽き症候群”のような状態を経験。でも、その間も練習だけは欠かさなかったそう。

「スランプに陥った経験でよくわかったのですが、地道に練習をしていることは絶対に無駄にならないんだなと。私の場合、気持ちが落ちても、悩んでも、練習だけは休まずに行っていた。それが自然と自分の力になっていました。だから、今後もし何か壁にぶつかったとしても、練習だけは疎かにしたくないと思っています」

aoki

スランプ脱却の経験が今後の自分を後押ししてくれる

練習熱心な彼女の日常は、陸上1時間、水泳2時間のメニューを午前と午後に1セットずつ。朝は6時に起床し、1セット目は7時頃からスタートするそう。昼食後は体力回復のために昼寝を挟み、15時から2セット目に突入。18時半過ぎに練習を終え、帰宅後は夕食をとり、お風呂で疲れを癒すそう。束の間、愛犬のルーシーと戯れて、23時には就寝。

 

平日はそんな水泳中心生活をしている青木さんですが、日曜日だけはルーティンとして欠かせないボディメンテナンスのマッサージに行く以外、競泳選手の顔は封印。27歳の一人の女性として、友達と会ったり、好きな場所に出かけたりと自由なひとときを過ごします。

「一人で街を散策したり、愛犬グッズを見に行くこともあるけれど、たいていは友達と一緒にお茶をしたり、ご飯をすることが多いです。おしゃれなカフェに行ったときは、スイーツの写真を撮ったりも(笑)。

私は水泳仲間だけでなく、学生時代の友達にも恵まれていて。企業で働いているひともいますし、結婚して子育てをしているひともいます。みんなの話を聞いていると、水泳とは違う世界を知ることができて興味深いし、とても楽しいです!」

aoki

年齢にとらわれず、挑戦を続けていく

未来のことを尋ねると、「30代、40代になった自分の姿は想像がつかない」という正直な答えが返ってきました。特に水泳を辞めた自身の姿はまったく浮かばないそう。その代わり、水泳における目標やビジョンは揺るぎなく、とてもクリアです。

「現在、私は27歳なのですが、現役を続けている限りは年齢にとらわれず挑戦を続けていきたいです。私の周りには33歳まで現役で頑張られた北島康介さんや、27歳で自己新記録を出した寺川綾さんがいます。そんな先輩たちの姿を側で見てこれたので、私もまだまだ頑張れるはず!と思っています。

目下の一番の目標は、2024年のパリオリンピック出場。そして来年は、福岡でのFINA世界水泳選手権と中国でのアジア競技大会もありますから、忙しくなりそうです。万が一、またスランプがやってきても、私には過去に脱却した経験があるから、きっと大丈夫。そうやって自分のことを信じながら、それぞれの大会でメダルを獲得することを目標に、毎日の練習に精一杯励みたいと思っています」

水泳で進むべき道が拓け、その道を歩く者だけが見える景色を、感じることのできる世界を味わってきた“今まで”。そこには喜びだけでなく、苦しみも悩みも伴っていたけれど「自分を信じる」という答えを武器にして、迷いなく未来へと進んでいく決意が定まった“今”。その覚悟は、青木玲緒樹選手の“これから”を、もっと強く、しなやかで、楽しさに満ちたものにしていくことでしょう。そんな彼女の姿が、この先もずっと、私たちに頑張ることの勇気と、続けることの大切さを伝えてくれるのです。


Profile
青木玲緒樹(あおきれおな)
競泳選手。ミズノ所属、種目は平泳ぎ。3歳から水泳を始め、小学校3年生からは日本屈指の名門スイミングスクールである東京スイミングセンターで平井伯昌コーチに師事。2021年東京オリンピック(五輪)では100m平泳ぎ、400mメドレーリレー日本代表。2022年国際大会日本代表選手選考会では50m、100mともに平泳ぎで優勝し、日本新記録を樹立した。
青木 玲緒樹のサイトへ
Instagram @reonaoki


PHOTO = 嘉茂雅之
HAIR & MAKE-UP = 吉田彩華
TEXT = 濱田恵理

関連記事