真実のオーガニックにこだわる“本気のモノヅクリ”を聞く【ゲスト 高倉健さん / 編集長インタビュー 01】】
Humming 編集長 永野舞麻が、知りたいこと、気になること、会いたいひとにフォーカス。コスメやペットケア用品などを展開するたかくら新産業社長 高倉健さんのインタビューを2回にわたりお届けします。
Special Interview 01 ———
たかくら新産業 高倉健社長
「オーガニックコスメ」と聞くと、単純に「いいもの」と思いがちですが、実際はどこまで本当にいいものなのか?ーー消費者にはなかなかわかりづらいというのが本当のところ。商品にオーガニック成分の配合パーセンテージを表示し、情報をオープンにするたかくら新産業、実は高倉社長の壮絶な体験から生み出されたビジョンを持つ会社でした。
2回にわたってお届けするインタビュー、第1回目は会社を作るきっかけとなった波乱万丈な高倉社長の半生に迫ります。
劣等感がすべての原点
― 天然成分100%のボディスプレーや、家族で使えるオーガニックデイリーケアブランド「メイドオブオーガニクス」など、私も使用しています。「オーガニック」にたどり着くまでの、高倉社長の人生についてお伺いしたいです。どんな子供時代を過ごされましたか?
「実は、とても劣等感を持った子供時代でした。京都の生まれなのですが、家族が代々同志社に通っておりまして。でも私だけ、同志社中学の受験に落ちたのです。“高倉家の恥”とまで言われて、兄弟で私だけ家族旅行に連れていってもらえませんでした。案の定そのままグレましたね(笑)。子供時代に感じた『認められたい』という気持ちは、今でも私の原動力ですし、商品を作るときの根幹にあります」
― 大学を卒業後、ファッション業界にいらしたそうですが。
「青春時代は同志社の呪縛から逃れたくて、京都を離れ東京の大学に行き、西武百貨店に就職をしました。とても面白い会社で、自己主張すればチャンスをもらえる環境でした。西武百貨店は全国にあり、配属もどこになるかわからないのですが、私は図々しく最初から花形といわれる渋谷店を希望し、入れてもらいました。
さらに当時のファッションの最先端を行くSEED館(当時、渋谷公園通り沿いにあった商業施設)で、こちらもさらに花形といわれる企画部にいきたいと、またしてもあつかましく主張しまして(笑)。当時はTAKEO KIKUCHIとSEED館がコラボレーションするなど、流行を作り出す注目の部署でした。その配属の希望も叶えてもらい、マルタンマルジェラなど、インターナショナルなブランドのプロモーションをしかける仕事をさせてもらった。本当に刺激的な日々でした。何というか、京都で感じていた劣等感を爆発させて自分のやりたいことに、どんどん積極的に手を上げていくことで、前に進めた実感がありました」
― たかくら新産業をおこされたのは29歳のときですね。
「はい。西武百貨店のあとは、大好きなファッションをもっと突き詰めたいと、商社に入りました。百貨店で服を売るだけではなく、作ることも勉強したかったのです。その後、いいものを見つけて世の中に広められたらと、今の会社を始めました。最初に扱ったのがアロマセラピー関連のブランドで、日本では『アロマセラピー』という言葉にもまだ馴染みがない時代でした。他にも日本で最初にボクサーブリーフを紹介したり。楽しく、忙しくやっていたのですが、そのときに妻に乳がんが見つかりました」
― それは大変でしたね。生活が一変されたのでは・・・。
「ええ。でも比較的初期でしたので『手術すれば大丈夫ですよ』とお医者さんは言ってくださって、それなら妻にストレスをかけてはいけないと『ネットは絶対に見るな。ネガティブな情報を見つけてつらくなるだけ。病院もお医者さんも全部俺が調べるから、とにかく楽にしていてほしい』と伝えました。子供もまだ小さくて、会社も始めたばかりで、どうしたらいいのかわからないながらも、必死で調べて、そして手術。うまくいったことがわかってほっとしたら、妻が退院した翌日に今度は私が倒れてしまったんです」
― 気を張りつめていらしたのですね。
「そうかもしれません。異常なくらいにお腹が痛くなり、訪ねた病院の受付で倒れて意識を失っていました。血液検査の結果が悪くて『すぐに入院してください』と言われたのですが『いや、妻がまだ病み上がりですし、会社だって大変な時期ですし、子供の面倒も・・・』とすぐに返事ができなかったのです。そうしたらお医者さんが一言『次に倒れたら死にますよ』と。そのまま1ヵ月入院しました」
― 原因はいったい何だったのでしょう?
「はっきりした病名はわからなかったのです。下痢が続いて何も食べられなくなり、一週間で13キロも痩せました。血液検査をするたびに症状が変わり、何の病気かもわからない。『もう死ぬのかな』と、本当に思いました。そう思ったら、急に『もっと生きてきた証を残したい。本当に役に立つ仕事がしたい』と考えるようになったのです。
妻は西洋医学で救われましたが、その一方で、私の病気が何だったのかはわからずに終わりました。西洋医学にはできることとできないことがあり、病気になってからでは遅い、ということに気づかされました。
病気にならない体をつくることこそ大事なんだと。与えられたこの命で、それを伝えていこうと決意して。そこから一気にビジネスも生活もオーガニックにシフトし、オーガニックブランド『メイドオブオーガニクス』を立ち上げたのです」
オーガニックの嘘に騙されない
― 使うものはすべてオーガニックに完全に移行されたのですか?
「いえ、20年前は情報も少なくて、手に入れられるものも少なかったんですよ。そこから、私は“経皮吸収”を基準に考えるということに行き着いたのです」
― “経皮吸収”とは・・・?
「物質が、皮膚を経由して体内に吸収されることをいいます。そしてその吸収率は体の部位によって違うのです。腕の内側にクリームをつけて吸収する率を基準の『1』とすると、頭皮は3.5倍、下顎だと14倍、脇の下だと3.6倍、デリケートゾーンにいたっては42倍にもなる。ですからまずは、この経皮吸収が高い部位に使うものを変えていこうと。使うものを全部変える必要もないし、私はケミカルなものを悪だとは思っていないです。オーガニックとケミカル、選択できることが大事だと思っていますから。実際、たかくら新産業では、一番売れるフェイシャル用の製品はあえてつくらず、主にこの経皮吸収の高い部位に使うものに絞っています」
― 頭皮も経皮吸収率が高いですよね。シャンプーは子宮にたまるからオーガニックにしたほうがいいとか、私も耳にしたことがあるのですが・・・。
「それは、実は単なる都市伝説です。“経皮毒”という言葉から、あおられて出てきた嘘。危機感をあおってオーガニックを買わせる、そういうやり方も残念ながらまだまだある状態で、私たちはそれをなくしたいと思っています」
― 経皮吸収の高い部位をターゲットにしたオーガニックの製品、ということでデリケートゾーンの商品にも力を入れていますね。
「10年前は、デリケートゾーンのケア用品などには、誰も見向きもしてくれませんでした。普通に考えれば、企業としては売れない商品はすぐに撤退となりますが、これは絶対に女性のQOL(Quality of Life)を上げてくれるものだと信じていましたから、ずっと扱い続けてきたのです。
まずは、商品の良さを伝えるよりも女性がデリケートゾーンのケアをする必要性を伝えることから始めなければと思い、弊社ではデリケートゾーンの大切さを説明する『デリケートゾーンアンバサダー講座』も開いています」
女性の性をタブーにしないことが女性を救う
― セクシュアル ウェルネス ブランドの「 bda ORGANIC」には、オーガニックのジェリーローションもありますよね。
「以前に、知り合いの女医さんから『バイアグラができたことで、セックスする年齢が上がったけれど、それは男性側だけの話で、女性側をケアする商品はない。女性だって年齢が上がれば体に負担がかかる。そのことで悩んでいる患者さんは多い』と聞いて、これは何とかしたいなと。その当時、業界にはケミカルな潤滑剤しかありませんでした。しかし膣の中に入れるものこそ、もっともオーガニックであるべきです」
― 経皮吸収の考え方から、セックスの商品にも発展したということもありますよね。女性の性に関する考え方や、産後のケアなど、日本では情報が閉ざされているなと感じます。今後どのように情報発信を考えていますか?
「さまざまな方の協力を得て、オーガニック90%、食べても大丈夫な潤滑剤を2年かけて開発し、自信を持って勧められるものができた。しかし日本では潤滑剤は、化粧品ではなくて、『雑品』として売らなければいけない。雑品ですと、成分表記の義務もないのです。隣に並んでいる商品に、何が入っているかわからない。そんなものが、売られている業界なのです。一番経皮吸収が高い女性の膣の中に入れるものが何だかわからないなんて問題です。だから私たちはきちんと成分を公開し、この商品が“セックス”に関するものだと偏見を恐れず打ち出して、性についても語れる世の中であるべきだと考えています。なので 弊社では、セクシュアルウェルネスを学ぶ『セクシュアルウェルネス塾』も開催しています」
― 「bda ORFANIC」はデザインもおしゃれですね。
「セックスに関するものを買ってもいいんだ、と思ってもらうためには手に取りやすいデザインで、手に取りやすい場所で売ることが大事でした。だから伊勢丹で販売をスタートさせたんです。海外ではこういう商品がきちんと医薬部外品として、買いやすさを考えて売られています。
ちなみに、男性は自分の男性器のことを『息子』と言いますが、女性は『あそこ』といいますよね。『息子』はとても自分と距離が近い感じがするけれど、『あそこ』はなんだか遠い感じがする。遠くてよく知らない、あまり話してはいけなもの、そんなタブーが、結局は女性の体を傷つけている気がします。だからこそ世の中の意識を変えながら、いいものを提供していかないと、と使命を感じているのです」
― 同感です。女性器は、子供が生まれてくる神聖な場所とされる一方で、セックスという側面から語られるときには途端に恥ずべきものという、何か隠すべき存在にされてしまう。この偏見のある固定観念を変えていきたいですね」
1回目のインタビューを終えて
たかくら新産業を訪ね、エレベーターでオフィスのあるフロアに上がると、そこは商品がたくさん飾られたお部屋でした。私たちが席で待っていると、商品を数本手にした高倉さんが颯爽といらっしゃって、明るい声でご挨拶くださいました。
初対面にも関わらず、とても気さくで朗らかで、その巧みなお話ぶりに、インタビューしながらすっかり引き込まれてしまいました。
面白いことに、約5年前にカリフォルニアに移住して以来、私が大切に考えるようになったのが、東洋医学と西洋医学のバランス。不思議なのですが、私たち家族の移り住んだ町では、鍼灸やボディセラピー、ヨガ、整体など、東洋医学に基づいた考えで行なっているプラクティショナーが大変多かったのです。
高倉さんのお話を聞きながらも、病気を未然に防ぐ、予防医学についてあらためて考えさせられました。多くの病気は、ストレスが原因で起こると言われています。現代を生きる私たちは、光や雑音、人間関係や、悪い空気、水など、少量ではあまり影響のないものが、日々少しずつ体内に溜まってストレスになっているのではないかと思います。
自分の内なる“本当の欲求”を知ることによって、居心地の良い状態に少しずつでも近づけていけたら・・・毎日のなかで感じるストレスが軽くなると思います。
そして、オーガニックの商品を積極的に取り入れることによって、健康で、柔軟な体と思考のまま、長く生きていくことができたら素晴らしいと思いました。(編集長:永野舞麻)
※高倉社長へのインタビユーは2回目に続きます。
>3回目
Profile
高倉健(たかくらけん)
1964年京都府生まれ。たかくら新産業代表取締役社長。西武百貨店渋谷店SEED館の企画担当を経て独立。世界中の化粧品や雑貨ブランドの輸入販売を経て、たかくら新産業を発足。オーガニックブランド「メイドオブオーガニクス」を立ち上げる。
takakura.co.jp/
TEXT = 安井桃子