
「あなたにとって女性らしさとは?」と聞かれたとき、正直、答えに詰まりました。
考えてみたら、これまで「女性らしさ」というものを、あまり意識して生きてこなかったような気がするんです。
メイクやファッションは好きだし、おめかしして気分が上がる瞬間には「女性でよかったな」と思うことはあります。
でも、「女性だから」ニコニコしておくとか、料理をちゃんとするとか、そういうことって、別に意識したことないなって。
それよりも自分がしっくりくる生き方——自分らしさ——を大切にしたいという感覚のほうが、特に最近の自分には強いような気がします。
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「女性」である前に私は「私」という一人の人間
私の母は、いわゆる「女性の役割」をしっかり果たしている人だと思います。
適齢期とされる歳に結婚し、私を生み育て、家族のためにあらゆる家事をこなし、それでいて自分の身なりも綺麗に磨き続けている。
母親の鑑だし、女性としてすごいなと尊敬もしています。
でも同時に、私には到底できないなとも思ってしまうんですよね。
全部を一人でこなそうとする母を見てると「そこまでやらなくてもいいんじゃない?」とか「ちょっと苦しんでない?」と、思ってしまう場面があるんです。
もちろん母が直接そう言うことはないので、本心は分かりませんし、上手く楽しみながらやっているのかもしれません。
だけど、私との他愛ない会話の節々にも「女の子というものは」とか「女はこうあるべき」みたいな空気がにじむこともある。
そのたびに「私にはそういう飲み込み方はできないんだよ、苦しいよ」と思ってしまうんですよね。
““女性はこうあるべき”という母の価値観に尊敬と違和感の両方を抱えながら、自分は「女性だから」ではなく「自分が心地いいから」選ぶ女性らしさを大切にしている。”
かといって「女性らしさ」を敬遠しているわけではないんです。
例えば、鏡に映る自分を見てテンションが上がるから、メイクやファッションに気合を入れて着飾るし、誰かと話す時も、そりゃあニコニコしたほうが相手も気分がいいだろうから、できるだけ愛想よくします。
それに、同じ食事なら美味しいもの健康なものを摂りたいから、自炊を頑張るし、家は綺麗なほうが気分がいいから、掃除や整理整頓にも励む。
全て「自分でこうしたいからやっている」だけであって、「女だからこうする」という順序で考えているわけではありません。
ただ単にできる範囲で、自分が楽しいと思う範囲でだけ、女性らしさと結びつけているというか。
だから「女なんだからもっとおしゃれしなさい」と言われたら反発するし、逆におしゃれしているところを見た誰かに「やっぱり女の子だね~」と言われたとしても、たぶんモヤッとすると思います。
「私」が決めてやったことなのに、他者から「女だから」「女性らしい」と言われると、主語がすり替わったような気がしてなんか腑に落ちないんですよね。
よくよく考えれば、親や親戚に「女は結婚して子どもを産むのが幸せだよ」とか言われてイラっとするのも、同じ気持ちから生じているのかもしれません。
価値観の押しつけに対する不快感だと思っていたけど、そもそもの主語が「私」ではなく「女」なっているのが嫌だったのかも。
私からしたら「今の私は結婚しない選択をしている」というだけの話なのに、「女性なのにその選択はおかしい」と言われてるみたいな。
こう書くと、完全に話が嚙みあってないですね。そりゃあぶつかるわ笑
でも、それは別に一般論に歯向かいたいわけではなく「一般的にはそうかもしれないけど、女性である前に私は私という一人の人間だしな」と、どこか他人事のような感覚からくるもので。
女であることが嫌なわけではないし、女性でいることで楽しいと思う瞬間も、得したなと思う場面もある。
だから、反発しているのか、受け入れているのか、自分でもよく分からないんですよね。
どっちでもないというか、人に生き方を強制さえされなければ、別にどちらでもいいというか。
究極の反抗期なのかもしれません笑

憧れは「女性らしさ」より「自分らしさ」を知っている人
そんな反抗期スタンスな私が、もう一つ「女性らしさ」ということばに思うことがあります。
それは、この多様性の時代にもはや定義自体できなくない…?ということ。
「女性らしい」ってどういう人や状態を指しているんでしょうか。
フェミニンな可愛らしい装い?家庭的で奥ゆかしい清楚な女性?
もちろんそういう女性は素敵だけど、それを全女性に当てはめるのは古いというのは、もはや多くの人が同意する時代ですよね。
ハード系なファッションでも、バリキャリでも、シングルでも、自らリードするタイプでも素敵な女性が世の中にいっぱいいる。
そういう人たちが大事にしているのって、女性らしさより「自分らしさ」だと思うんです。
自分らしく生きている人、自分で人生のハンドルをちゃんと握っている人は、結果として女性としてもとても魅力的。
個人的にはこれが最適解だと思うし、そうできる人に自分もなりたい。
“「女性らしさ」に型はなく、本当に魅力的なのは“自分らしさ”を軸に生きる人であり、冨永愛さんやヤマザキマリさんのように「女性だから」ではなく「自分がそうしたいから」で選択している姿に憧れている。”
そしてそのロールモデルは誰かなと考えたとき、思い浮かぶのは冨永愛さんやヤマザキマリさんです。
お二人とも世界を舞台に活躍していて、聡明で博識。
自分の芯を強く持っているけれど、柔らかな優しさもある。
外見も可愛らしい、美しいなと感じるときもあれば、カッコイイと惚れ惚れするときと、見るたびに雰囲気がガラッと変わる。
でもどれもすごく似合っていてキマってる。
お二人とも女性という要素を「こうあるべき」にはめず、自分で上手に使い分けているように見えるんです。
自分の内面、外見を磨くのも、健康的な生活を送るのも、新しい挑戦をするのも、自分や大切な人のためにやっているようなイメージ。
「女性だからこうしなきゃ」ではなく、「自分がそうしたいから」「そうするのが良いと思ったから」が基準ではないかと思うのです。
そこが、シンプルでさっぱりしていてカッコイイ。
女性であることの「良いとこどり」をしたい
もちろん、母のように「女性らしさ」を全うしている人もカッコイイんです。
だけど、私はまだそこまで頑張れないから、もう少し力を抜いてわがままに「自分らしさ」を指針にして生きていきたい。
女性であることで生きづらいこともあれば、楽しいことも得をすることもある。
だから「女性らしさ」を捨てるわけでも、ガチガチに守るわけでもなく、自分が心地よいラインで、女性であることとも付き合っていきたい。
なんなら密かに、女性であることの”良いとこだけ”総取りしてやろうとすら目論んでいます笑
それくらい勝手気ままに自分らしく泳いでしまえば、生きづらさの残る社会も多少は楽しいものに変わるのではないかと思っています。

ライター:プロフィール

とにかく「言語化」することを軸に、
心や頭に浮かぶ漠然とした不安やモヤモヤも「言語化」