Humming♪

セックスに対する恥じらいの正体を、自分なりに考えてみた

Written by
ハミング編集部

 

私は、「セックス」という言葉を口にするだけで、どこか気恥ずかしさを感じます。

 

あなたの周りにも「性的な会話や欲望は隠すもの」という空気が漂っていませんか?性に対するタブー感はいったいどこからやってくるのでしょう。

 

家族との会話で避けられる話題、学校での遠回しな性教育、メディアの過剰な表現と規制……。知らず知らずのうちに「セックスに関することは口にしてはいけないこと」というメッセージを受け取ってきたのかもしれません。

 

しかし、本当にセックスは恥ずべきものなのでしょうか?

 

私の中にある恥ずかしさの正体や、心の奥で望んでいることを考えてみました。

 

 

私の中にある「恥ずかしさ」の正体

 

私がセックスに恥ずかしさを感じる理由のひとつは、単純に「セックスはプライベートな部分をさらけ出す行為だから」です。身体的にも、感情的にも、自分の深い部分を相手に見せることには、ある種の照れや抵抗が伴います。

 

 

でも、それだけではないように感じます。

 

 

「女性のセクシュアリティは恥ずかしいもの」という意識が、どこか私の心の奥底に根付いているように思います。性的な欲望や快楽を表現すること自体を「恥ずかしい」と感じてしまうのはなぜなのでしょうか。

 

 

思い返せば、子どもの頃から「性」についてあまり触れられずに育ってきました。学校でも、家庭でも、性に関する話題はどこかタブー視され、オープンに語られることは少なかったです。セックスに関する話をするのは「はしたないこと」、性的な興味を持つのは「よくないこと」。そんな無言のメッセージを受け取りながら大人になった気がします。だからこそ、性にまつわることを隠すのが当たり前になり、それが「恥ずかしい」という感情につながっているのかもしれません。

 

 

しかし、本来セックスは単なる生殖行為ではなく、大切な人との愛情表現のひとつでもあります。身体の内側から「気持ちがいい」と感じることは、決して後ろめたいことではなく、自分を大切にする行為でもあるはずです。

 

 

性について、もっと自然に、オープンに話せるようになるためには、幼い頃からの性教育が大切なのかもしれません。

 

 

もう少し性を楽しんでみたい。30代後半の変化

 

 

これまで私は、性に対してとても真面目に向き合ってきました。身体の関係を持つのは、きちんとお付き合いをしている人だけ。ワンナイトや浮気、不倫はもってのほか。周りがどうであれ、それが自分のポリシーでした。

 

 

でも最近少しだけ思うことがあります。もう少し、性を楽しんでみてもいいのではないかと。自分が気持ちいいと感じること、心地よいと感じることを、もっと素直に受け入れてみたいなと。

 

 

とはいえ、私は既婚者であり、子どもがいます。パートナーを裏切って家庭を壊すリスクを負ってまで、自分の快楽を外に求めることはできないでしょう。

 

 

でも、自分にも性欲があること。性を楽しみたいという前向きな気持ちがあること。それを恥じることなく、認めてあげようと思います。どんな方法でその感情を満たしてあげるのかは、模索中……!

 

 

 

性と向き合うことは、自分の心と体と向き合うこと

 

性に関する感じ方は、人それぞれです。セックスをしない「アセクシュアル(エイセクシュアル)」の人もいれば、セックスそのものを楽しむ人もいます。愛する人とのスキンシップを大切にする人もいれば、心のつながりがないと性行為を求めない人もいます。どの価値観も間違いではなく、大切なのは自分がどうありたいかを自分自身で選ぶこと。

 

 

性について考えることは、単に「セックスをどう捉えるか」という話ではなく、「自分の心と身体をどう大切にするか」ということにつながっているように思います。セックスという行為を、恥じたり、否定したりするのではなく、自分の気持ちを素直に受け止めること。それこそが、自分自身と向き合うための一歩なのかもしれません。

ライター:プロフィール


関連記事