生理用ナプキンは特権である
生理が当たり前に受け入れられている社会で育った私は、生理という自然な身体の機能が、これほどまでに偏見の目で見られるとは考えたこともありませんでした。Netflixのドキュメンタリー『Period. End of Sentence.』は、インドの一部地域における生理の扱われ方や認識について、衝撃的な現実を映し出しています。
映画の冒頭では、インドの少女たちが生理について尋ねられ、赤面したり、答えを躊躇したりする様子が映ります。多くの少女たちは語ることを恥じ、中には完全に口を閉ざしてしまう子もいました。
私は、生理がタブー視されたり、病気のように扱われたりしない国で育つことができました。しかし、インドでは、知識不足のために、一部の男性たちが生理を病気だと誤解しているのです。
私は14歳で初潮を迎えましたが、周りの友人たちは1~2年前からすでに生理を経験していました。自分だけが遅れているのではないかと不安になり、生理がきたときはホッとして、少し嬉しくさえ感じました。
しかし、インドでは事情が異なります。少女たちは生理がこないことを願いながら過ごしています。痛みや不便さを恐れているのではなく、生理用品が手に入らないためです。ナプキンがないために、服を汚し、それを頻繁に取り換えなければなりません。
ドキュメンタリーの中で、一人の女性が学校を辞めることになった理由を語っています。彼女は中学生のときに初潮を迎えましたが、ナプキンが手に入らず、布を巻いて対処していました。その布を取り換えるために、授業を何度も抜けなければいけないし、男性の視線を避けるために遠くまで歩かなければいけない。それに耐えられなくなり、最終的に学校を辞める決断をしたのです。
このドキュメンタリーは、私たちが当たり前のように使っている生理用ナプキンが、多くの女性にとっては手の届かない「特権」であることを痛感させます。
この現実に憤りを感じる
生理はごく自然な生理現象であり、人類の存続に関わるものです。社会がその基本的な機能を理解しないがために、女性の人生が制約されるべきではありません。しかし、インドでは性教育の不足により、多くの女性が生理中に使う布を洗って再利用するよう指導されています。恥ずかしさから、その汚れた布を人目につかないように埋めることさえあるといいます。
映画には、デリー警察で働くことを夢見るスネハという女性が登場します。警察官になるという彼女の夢は「結婚から自分を守るため」でもあります。彼女は村の中で孤立しながらも、結婚を拒み、独立を求める強い意志を持っています。
スネハは「女性は生理中に寺院に入ることができない。汚れているとみなされるか」と、厳しい現実を語ります。しかし彼女はこの考えに疑問を抱きます。「だって、神様だって女性でしょ? だったら私たちの気持ちをわかってくれるはず」。
この映画が制作された2018年時点では、インドで定期的にナプキンを使用している女性はわずか10%に過ぎませんでした。しかし、インドでも少しずつ変化の兆しが見え始めています。それは「ナプキン製造機」と呼ばれる装置ができたことです。特定の原料を用いて生理用ナプキンを製造できるこの機械は、全ての女性がナプキンを使えるようにすることを目的に作られました。
映画の中で特に印象的だったのは、ナプキン製造機の開発者が村を訪れ、使用方法を教える場面です。彼は「集中するために携帯電話をしまって」と指示します。その光景は皮肉なものでした。携帯電話を持つことは当たり前なのに、生理用ナプキンを持つことはまだ普通ではないのです。生理は太古の昔から続く現象なのに、未だにタブー視されるのはなぜなのか。もしかすると、これは性差別の一形態なのではないか。インドのように男性が支配的な社会では、彼ら自身が経験しない生理を「奇妙なもの」と捉え、恐れ、無視し、時にはコントロールしようとするのではないか。
私の初めての生理の記憶
私が初めて生理になったときのことを思い出します。父とレストランにいたときでした。トイレで血を見てパニックになり、急いでトイレットペーパーを下着に巻きました。そして、父のもとへ駆け寄り、状況を説明しました。父は一瞬戸惑ったものの、すぐに隣のコンビニに走ってナプキンを買ってきてくれました。
なぜなら、生理は普通のことだからです。
男性は生理を「気持ち悪い」「変だ」と思うべきではありません。生理は、女性が毎月経験するものです。にもかかわらず、世の中には、女性の身体の仕組みをあまり理解していない男性が多いように思います。
ナプキン製造機が村に導入されたとき、男性たちはその用途を知らず、赤ちゃん用のおむつだと思い「子ども用のナプキン」などと呼んでいたのです。
映画の後半では、ナプキン製造機の導入を通じて、女性たちが自立していく姿が描かれています。スネハは女性たちを率いてナプキンを製造し、他の村へ販売しに行きます。少しずつ興味を持つ女性が増え、ナプキンの購入者が現れます。それによって女性たちは収入を得て、誇りを感じるようになります。スネハが初めてナプキンを売ったときの喜びに満ちた表情が、とても印象的でした。
映画の中で、ある女性校長がこう言います。
「女性はあらゆる社会の基盤です」 そして、少し躊躇しながらも続けました。
「私はちょっとフェミニストかもしれません。でも、女性はもっと強い存在です。ただ、それに気づいていないだけ。自分たちにどれほどの力があり、何ができるのかを」
生理用ナプキンを作ることが、初めての仕事になる人もいます。そして、収入を得ることで自立し、男性からも尊敬されるようになります。もちろん、男性の承認を得ることが女性の自己価値につながるわけではありません。しかし、彼女たちにとっては大きな一歩なのです。
ナプキン製造機が稼働するたびに、村の男性たちも関心を持ち始めます。そこから教育が始まるのです。小さな好奇心の火が、意識の変化という大きな炎へと広がり、より平等で支え合う社会を築いていくのではないでしょうか。
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ライター:プロフィール

インタビュー:條川純 (じょうかわじゅん)
日米両国で育った條川純は、インタビューでも独特の視点を披露する。彼女のモットーは、ハミングを通して、自分自身と他者への優しさと共感を広めること。